国政報告

国政報告(第462号)

 1月28日(月)、通常国会が開会しました。会期は6月26日(水)までの150日間で、当面は、今年度第2次補正予算と新年度予算の審議が進められます。厚生労働省の雇用関連統計の不適切調査問題が急浮上し、新年度予算の閣議決定をやり直す事態となっており、国会審議を通じて国民の皆様への説明責任を果たす必要があります。これをこなして本予算を年度内成立させることが、政府・与党の当面の目標となっています。

 私については、インフルエンザを治して、24日(木)は副大臣再任後14度目の東北出張でまずは利府町の宮城スタジアムを訪問しました。来年の東京オリンピックにてサッカー競技が予定されており、地元の熊谷町長も海外のお客様のおもてなしに知恵を絞って頂いています。冬型の気圧配置が強まり、小雪が舞う状況でしたが、施設はこれまでにも国際レベルの大会をこなしておられるだけあって整った印象を受けました。来夏に宮城県内の復興の状況を発信し、「復興五輪」が実りあるものとなるよう、努めていきます。

 続いて、多賀城市で10年来の知人である菊地市長と合流し、「さんみらい多賀城・復興団地」に進出された日本積層造形株式会社を訪問、保田社長にご案内頂きました。金属微粒子をレーザーで溶かして立体的な部品を作り出すという先進的なものづくりに携わっておられ、東北大学の研究成果を活用されている由、まさに「創生」の好事例です。菊地市長との昼食後、仙台市に移動し、蒲生北部被災市街地復興土地区画整理事業の進捗を目の当たりにし、さらに、鈴木東北農政局長に仙台東地区ほ場整備事業の現場をご案内頂きました。津波の被害を受けた農地を除塩し、大区画化して、米作や園芸作物の効率良い営農が展開されています。最後は復興を終えて運営が民営化された仙台空港を訪ねました。保安検査のスピード・アップの取り組みや、ボーディング・ブリッジを使わず、地上から直接飛行機に乗り込む新たな乗客の動線の設定など、民業らしく知恵を絞って経営を黒字化し、乗客数を増やしておられる実情に感銘を受けました。

 25日(金)夜に富山に戻り、26日(土)は党県連主催の政治学校の講師を務め公明党の恒例の「躍進の集い」で沖縄出張の宮腰県連会長に代わって挨拶しました。27日(日)は、石破茂代議士が昨年秋の党総裁選の御礼と県議選・参議院選の候補者激励を兼ねて来県され、砺波高岡新湊の3会場で集会を持ち、合計八百名の参加を頂きました。

 かくて月曜から通常国会が始まり、初日は現天皇陛下の最後のご臨席を得ての開会式と安倍総理他四大臣(総理・財務・外務・経済担当)の演説があり、30-31日(水―木)と各党代表質問で論戦がスタートしました。来週は予算委員会の報告となる見込みです。

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国政報告(第461号)

 先週末、不覚にも、インフルエンザA型に感染してしまい、地元日程はすべてキャンセル、週明けも養生する破目になりました。昨年はB型に感染しており、今年は大丈夫だろう、という気の持ち方がまずかったです。来週28日(月)から会期150日間の通常国会を控え、改めて健康管理に心して臨みます。

 前号で岩手・富山の出張まで報告しましたが、引き続き18日(金)、19日(土)と福島県に日帰り出張しました。初日は未訪問の6市町村(いわき市・楢葉町・浪江町・南相馬市・新地町相馬市)に伺いました。原発事故で避難指示が出たのは、楢葉・浪江・南相馬の3市町ですが、住民帰還率は楢葉で5割、南相馬の小高で4割を超え、地域にも活気が出てきました。楢葉の「笑(えみ)ふるタウン」、小高の「小高ストア」など日常品を求める環境も整備されています。昨春に避難解除となった浪江町では、帰還はまだこれからですが、役場前に雪の塊があり、聞くと秋田県横手市の皆さんがかまくらを作ってくれるとの事、気持ちが温かくなりました。

 今回の訪問で承った問題意識が2点あります。帰還・復興が本格化する中で、地域の基幹産業である農業を再開させていくための圃場・施設整備を、担い手が十分揃わない中でどう進めるのか?平成32年度末という「復興・創生期間」までに公共施設の整備がどこまで済ませられ、その後はどうなるのか?という悩みです。地震・津波被災地域では「32年度末」を合い言葉にしていますが、原子力災害地域はそうはいかないことも良く分かります。復興庁設置期間終了後の取り組みの検討の主要課題の一つです。

 南相馬市では、福島イノベーションコースト構想の拠点となるロボットテストフィールドも見学し、ドローンの飛行実証実験の説明を受けました。27個のドローンを、きちんと3層の隊列を組んだ形で2千m上空まで上昇させ、雨雲等を観測しようという課題にチャレンジされており、良質の電波による遠隔制御を目指しています。原町第一小学校では、東京大学の先生方がミニ・ドローンを児童たちのプログラミング学習の教材に使った授業に取り組まれていました。イノベ構想も「肉付け」の段階に入り、今後が期待されます。

 2日目は、Jヴィレッジの全天候型施設で、読売巨人軍OBの西村選手、北選手など、ジャイアンツ・アカデミーの皆さんの親子野球体験教室の開会挨拶を務めました。サッカーのトレーニング施設であったJヴィレッジは、原発事故収束の前線基地に転用されました。廃炉作業の進展により拠点は福島第一原発構内へ移り、現状復旧工事を経て元の姿が蘇ってきました。今春、JR常磐線の「Jヴィレッジ駅」も開設され、東京オリンピック・パラリンピックに向けて更に活用が期待されます。明24日(木)は宮城県利府町のオリンピック・サッカー競技会場となる宮城スタジアムに伺います。

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国政報告(第460号)

 今週は副大臣再任以降、11回目の東北出張(今年初めて)を中心に報告します。成人の日の三連休は、中日の13日(日)が在京当番となり、12日(土)は富山に日帰りして、党県連女性部の新年初顔合わせに出席しました。堀田女性部長を中心に、東日本大震災の被災地にチューリップの球根を送り続けておられ、復興に携わる立場から御礼の挨拶を致しました。14日(月)朝に再度富山に向かい、宮腰大臣を囲む会に出席しました。長勢先生の法務大臣就任以来、久しぶりの富山県の大臣誕生は嬉しい事で、会場も華やいだ雰囲気でした。宮腰大臣は、長年取り組んでこられた北方領土隣接地域と沖縄の振興のほか、内閣府の消費者行政、少子化対策など8分野を担当されています。臨時国会も手堅い答弁で法案を成立させるなど、着実に成果を挙げておられ、大活躍をお祈りします。午後からは、高岡市鍼灸マッサージ師会となみ青年会議所の新年会に出席しました。例年に比べ、極く限られた新年会しか出席がかないませんが、公務に免じてお許し頂きたいと思います。

 15日(火)朝に高岡市民病院で年1回の健康診断を受けて上京し、16日(水)は新幹線で八戸駅まで出向いて、小林八戸市長にご挨拶しました。大震災では、青森県や茨城県の太平洋沿岸部も被災しており、住まいの再建など復興事業が実施されています。八戸も水産業関係施設等に大きな被害が出ましたが、既に製造品出荷額が震災前を上回るなど着実に前進しています。続いて南に進み、岩手県沿岸部の北部7市町村(洋野町久慈市野田村普代村田野畑村岩泉町宮古市)の首長を訪ねました。この地域も住まいの復興はほぼ終了しており、三陸沿岸道路の平成32年度までの開通に大きな期待を寄せておられます。主力産業である漁業は、漁獲高が震災以前の水準に戻っておらず、漁業者は魚価が上がっている分だけ支えがある一方、加工業者は原料不足かつ原料高の影響で厳しい経営環境が続いています。地域としても、研究機関の協力も得ながら、磯焼け対策や、主力魚種の変更など、漁場回復を模索しています。また、人口減少下での地域の維持発展や、若者の定着策の検討など、まさに「復興から創生へ」と自治体の意識が変化していることを感じました。平成28年夏の台風10号で大きな水害に見舞われた岩泉町が、復興事業加速化のノウハウも生かし、早期に復旧を遂げておられ、安堵しました。田野畑村と岩泉町ではヨーグルトをご馳走になり、宮古市では駅前に防災機能を充実させた新市庁舎を案内頂くなど、この間の復興の歩みを実感した出張でした。翌17日(木)は、岩手県庁に千葉副知事を表敬し、岩手復興局で挨拶の後、大宮経由で富山に「出張」し、県市長会の皆さんに来年度の被災地への職員派遣の継続をお願いしました。森市長会長のご配慮に感謝しつつ、富山の皆さんの引き続きの応援をお願いします。

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国政報告(第459号)

 お正月休みを挟んで約半月ぶりの報告です。年の瀬は26日(水)に富山に戻り、各省庁の新年度予算の書類を読むなどして過ごしました。大晦日(月)のNHK紅白歌合戦の終盤、白組嵐の皆さんの歌唱の前に、メンバーが福島県飯舘村を訪れたビデオが流れました。平成29年4月に避難解除になって1年9か月、一歩ずつ復興が進む姿を伝えてくれたことを、関係者として嬉しく思いました。

 平成最後となる31年が明けて、元旦(火)は例年通り、早朝に高岡市で実践倫理宏正会の元朝式に出席し、伏木地区の賀詞交換会で挨拶しました。3日(木)まで東京で過ごして4日(金)は氷見漁港の大漁祈願祭自由民主党富山県連の初顔合わせをこなし、5日(土)が復興庁の在京当番のため、地元の各種新年会は失礼して在京で過ごしました。

 7日(月)の朝、渡辺大臣の年頭挨拶で復興庁での今年の仕事が始まりました。昨年末の大震災による避難者数は53,709人で、1年前より約2万3千人減ったものの今なお仮設住宅や避難先で新年を迎えざるを得なかった方々が数多くいらっしゃいます。大臣からはこのことにも思いを致し、改めて現場主義で被災地の課題解決を通じ、復興を前進させるよう指示がありました。私からは、大伴家持卿が詠んだ万葉集最後の歌、「新(あら)たしき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」を朗唱し、雪が降り積もるように東北に良い事が沢山あるように念じ、努力していくことを誓いました。

 この一週間は、例年ならば地元での新年挨拶回りが主体となるのですが、今年は東京で、来週以降の現地出張の打ち合わせなど進めています。年末には復興庁の所管する事務・事業を対象として「復興・創生期間後も対応が必要な課題の整理」が取りまとめられています。3月に予定される「「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針」の見直しに向けて、平成32年度末の復興庁設置期限後の国の組織・制度の在り方を議論していかなければなりません。担当の宮城県など、地震・津波の被害が主の地域では、コミュニティや生業の再生や教育の充実など「ソフト事業」のニーズが強く残っています。一方、原子力発電所事故の被害が主の地域では、希望される住民の帰還など復興はハード・ソフト両面で「道半ば」の現状です。農林水産品や観光面での海外の風評が残存しており、福島第一原発の廃炉作業もまだまだ先の見えない状況です。放射性廃棄物の処理の問題は、福島県以外の県でも依然として解決されていない課題です。この現状にどう対処していくのか、また、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを「復興五輪」として実のあるものにしていくために何を為すべきか、自問もしながら、頑張っていきます。本年もよろしくお願い致します。

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国政報告(第458号)

 年の瀬が近づき、一年を振り返れば、2月は予算委員会で今年度予算の審議が連日続き、春は議員立法の根回しに議員会館を飛び歩き、新潟県知事選、8月の中国と東南アジア訪問、9月の沖縄県知事選での那覇20泊と総裁選、10月からは2度目の復興副大臣と、活動の内容も舞台も激しく変化した「忙」の年でした。郵政法案など達成感のある仕事もできましたが、普天間基地の移設問題を抱える沖縄で、数年間親交のあった佐喜真前宜野湾市長の知事当選を成就できなかった事は痛恨で、自分自身の選挙運動の総括もできぬままの年越しです。沖縄の振興は、宮腰大臣や小渕優子党沖縄振興調査会長に努力頂いており、私も再度関わる事を心に誓いながら、今は東北の被災地の復興を前進させる使命に全力投球の立場です。

 前号に続き、今年最後の16-17日(日―月)の岩手県出張を報告します。初日は午後に新幹線で東京を発ち、新花巻駅で下車、岩手復興局の皆さんと釜石に向かい、野田市長ほか市の皆さんと懇談しました。漁業と鉄鋼業の街であり、県外からの移住者も多く、富山県では朝日町と深い縁があるそうです。新日鉄の生産縮減に伴い、人口が減っていた所へ大震災が起きた訳ですが、市街地の復興はほぼ完了しています。鵜住居地区にはラグビー場が整備され、来年のラグビーワールドカップの公式戦開催に向けて準備が進んでいます。

 17日は、復興道路として急ピッチで建設が進む三陸縦貫自動車道を利用し、まずは大船渡市陸前高田市を訪ね、宮古市まで北上した後、山田町大槌町と役場を訪問しました。いずれも1年半ぶりですが、住まいの復興は着実に進んでいました。陸前高田市と2町の中心部は、土地の嵩上げや区画整理を待って土地の引き渡し、住宅再建へ進んだため、前任の時は建物もまばらな状態でしたが、今回は家屋も連坦し、町らしさを感じました。居住に適さないとして住居が移転して出た土地の活用策が復興終盤の課題として提起されています。宮古市では「Fw:東北(フォワード東北)」という復興庁の情報発信イベント(岩手県と共催)で主催者挨拶をしました。会場の「イーストピア宮古」は、宮古駅に隣接する市役所・保健センター・市民交流センターの複合施設で、10月に供用されたばかりです。来春には宮古・釜石間の旧JR山田線が三陸鉄道線として復旧するなど、地域発展のいぶきを感じ取った次第です。

 18日(火)には渡辺大臣から「復興・創生期間後も対応が必要な課題の整理」が公表され、これを元に復興庁設置期限(平成32年度末)後の組織・事業の在り方を検討していきます。21日(金)には新年度予算案が発表され、先に決まった税制改正案と併せ、来年度に向けた準備が整いました。26日(水)からは富山で過ごし、国政報告は一週間のお休みを頂き、次号は1月10日(木)でお願い致します。良いお年をお迎え下さい。

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国政報告(第457号)

 国会が終了し、今年も後10日余り、政府では14日(金)に新年度の税制改正大綱をまとめ、今週は予算の大臣折衝を経て、21日(金)には今年度の第2次補正も含め、予算編成を終える予定です。私も、議員会館、復興庁、現地出張と仕事を進めています。昨19日(水)には高岡商工会議所の川村会頭はじめ有志の皆さんの激励訪問を頂き、東北と富山の話題で楽しく過ごしました。

 再度の副大臣着任以来、被災地への出張は10回となりました。13-4日(木-金)は福島県に行き、会津若松市に避難を続けている大熊町役場から、田村市葛尾村川内村と役場を回りました。除染と避難解除が徐々に進む中、大熊町と双葉町は未だ全域に避難中です。それぞれ、昨年から特定復興拠点を設け、避難解除に向けた除染・家屋解体が進んでいます。大熊町は、居住制限区域となっていた大川原地区に役場の新庁舎を建設し、来春を目途に先行して帰還できる見込みです。渡辺町長からは、太陽光やバイオマスを用いた再生エネルギー拠点づくりの意気込みも承りました。

 再生となった楢葉町のJヴィレッジのホテルで宿泊し、翌日は富岡町広野町双葉町(役場がいわき市勿来地区に避難中)を訪ねました。避難解除が進んだ自治体では、次代を担う若者や子供たちが一人でも増えて欲しいという思いが強く、特色ある教育や雇用創出への国の取り組みを求められました。産業面では、イノベーション・コースト構想を進めていますが、企業立地と併せて人材育成の視点もしっかり持つべきと思いました。また、浜通りへの「Iターン」(移住)についても、積極的に受け入れたい意向で、大学のサテライトなど研究者・技術者の来訪・定住を増やす必要があります。

 双葉町では、中野地区の産業団地の造成が進み、立地の引き合いも強いそうです。2020年3月に予定される常磐線の全線開通に向け、団地の稼働と、双葉駅周辺の避難解除を目指しています。今まで、先が見えないご苦労が続いていましたが、ようやく帰還が視野に入り始め、二年前に初めてお会いした時から見ると将来に向けたお話に力がこもり、嬉しく思いました。

 14日の午後は仙台に移動し、第2回復興五輪連絡調整会議を主催しました。出席頂いた3県担当者からは、聖火リレー、ホストタウン、競技会場の受け入れ態勢など、準備状況を披露頂き、組織委員会との調整を密に進めていくことを確認しました。被災地の復興状況のアピールや地元食材の活用など様々な取り組み課題があり、一足先に開催されるラグビーワールドカップ2019の経験も生かして盛り上げて行ければ、と思います。

 東北から大宮経由で戻って、週末の15日(土)は高岡市伏木で向県議の後継で出馬予定の針山健史さんの後援会発会式に出席して上京、16日(日)からの岩手出張の報告は次号とします。

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国政報告(第456号)

 先週末の寒波で、富山も9日(日)の朝は雪化粧となり、挨拶回りで伺った五箇山では20cmの積雪でした。東京も銀杏の樹々が葉を落とし、冬景色の風情です。

 臨時国会(第197国会)は、当初の通り10日(月)に閉会しました。内閣提出の新規案件は全て可決され、成年後見人に係る継続審査の法案を残すのみです。この間、6日(木)からの出入国管理法等改正法案と漁業法案の参議院での大詰めの審査過程では、法務委員長に加えて堂故農林水産委員長の解任決議案も提出されました。温和な物腰で知られる堂故議員だけに、院の厳しい雰囲気の中で私には思いもよらぬ事態でした。明けて7日(金)は参院本会議が断続的に開かれ、二つの解任決議案が否決された後、山下法相、安倍総理の問責決議案の提出、否決を経て、8日(土)午前4時に全ての法案を可決するに至りました。7日は衆議院も内閣不信任決議案の提出に備えて本会議が設定され、休憩状態のまま与党議員には「禁足」(連絡できる状態で在京している事)の指示が出ました。私は宮城県に出張・宿泊の予定でしたが、取り止めとなり、午後11時55分に再開した本会議に出席しました。大島議長が日付を超えて8日も本会議を続行する旨、「延会手続」を宣言されて休憩となり、議員会館で待機するうち、参院本会議が再開され、不信任案の提出見込みが薄れたため、午前0時40分で禁足が解かれ、宿舎に帰宅できました。会期末の参院は厳しい状況になることが間々ありますが、今国会も2日間にわたる苦労がありました。

 経済界を中心に、厳しい人手不足を背景に導入が強く望まれた新たな外国人労働力受け入れシステムでしたが、国会審議の過程では、現行の外国人研修生制度の悪しき運用事例が明るみになりました。このため、新制度の施行に当たっても、細部のルールを事前に示すよう政府に要請する事となりました。我が国の国籍を持たない外国人の方々が日本国内で苦労されている点について、与野党を通じて認識を新たにした訳で、新たな5年間の在留資格についても、日本語能力や技術力の基準を満たすことや、受け入れ企業の責任の重さなど、制度の適正な運用を注視していく必要を痛感しています。

 8日朝の新幹線で仙台に向かい、名取市の復興公営住宅完成式典に出席がかないました。地震・津波で甚大な被害を受けた閖上地区の復興方針を巡り、厳しい意見の対立を山田市長と市議会の皆さんが苦労されてまとめられ、全戸完成・入居の日を迎えられた事、前任時に関わった立場から労いの思いを込め、復興庁としての挨拶を述べました。午後には大宮経由で富山に戻り、地元6市の市議会議員有志の会(慶政会)で復興の現状について報告する機会を頂きました。13日(木)からも、福島県、岩手県の被災地に伺い、現況把握に努めていきます。

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国政報告(第455号)

 師走に入って急に暖かくなり、汗ばむ位かと思う内、週末に向けては一気に気温が下がり、降雪も予想されるようです。臨時国会は10日(月)の会期末まで今日(6日(木))から実質3日間となり、出入国管理法等改正法案が参議院で採決のヤマ場を迎えています。内閣不信任案の提出が取り沙汰されるなど、荒れ模様の印象が強いですが、内閣提出案件は、漁業法改正法案や日EU経済連携協定批准など全て成立の見込みです。衆院国土交通委員会では、トラック事業者の皆さんから運転手の働き方改革のために強い要望のあった貨物自動車運送法改正法案が全会一致で可決されるなど、立法府としての役割も与野党協力して果たしている旨、報告します。

 先週末の1-2日(土-日)は、埼玉県秩父市で全国山・鉾・屋台保存連合会の総会が開催され、現在、副大臣就任のため会長職を休止している私は夕方の懇親会と翌日にかけての祭礼見学に参加しました。開催地の秩父夜祭は、江戸時代に名産の絹の市を盛り上げることから豪華絢爛な屋台と笠鉾が師走の街を練り歩く秩父神社の祭礼として大いに発展したものです。各町の役員が明るい色のいなせな着物を着流しているのも、秩父の特色であり、名産の絹織物「秩父銘仙」をアピールしているものと思います。全国の重要無形民俗文化財の祭礼関係者が一同に会し、心意気を分かち合う本総会は、来夏は青森県八戸市で開催する事となりました。

 富山にワンタッチして東京に戻り、4日(火)午前は衆院の東日本大震災復興特別委員会で3時間の質疑があり、税制、復興五輪の取り組みの2問に答弁しました。午後から5日(水)にかけて、渡辺大臣に随行し、福島県浜通りに出張しました。初日の夕刻は、富岡町、楢葉町、広野町、川内村の町村長さんと懇談の機会を持ち、有害鳥獣対策としての森林整備の促進、イノベーション・コースト構想の下での若者世代の人材育成、新たな特産農産物の開発など、多様な意見交換ができました。5日は大熊町で整備されている中間貯蔵施設を見学した後、東京電力福島第一原子力発電所を訪問しました。私にとっては、前任の際、2年前の訪問以来で3回目となりましたが、関係者の努力で廃炉作業が一歩一歩前進していることが確認できました。敷地内の放射線量の低減が進み、マスク無しの通常の服装で行動できる範囲は、1~4号機周辺を除く全域へと格段に広がりました。汚染水を多核種除去装置(ALPS)で処理したものを貯めているタンク群や、使用済み燃料の取り出し準備が進められている3号機のオペレーティング・フロアも見ることができました。ここでは事故後の原発の廃炉という、前例の無い作業に取り組んでいる訳で、慎重に粘り強く手順を踏んでいく事が肝要と改めて痛感しました。今月は、この後も数度被災地を訪問し、現状を理解し、解決すべき課題の把握に努めて行きます。

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国政報告(第454号)

 11月も最終週となり、臨時国会も昨27日(火)に懸案の出入国管理法等改正法案が衆院本会議で可決、参議院に送付され、一山超えた感じです。29日(木)の衆院本会議では、日EU・EPA協定の批准案や漁業法改正法案が議題となる見込みであり、来月10日(月)の会期末に向けては参議院を舞台に審議が進みます。国会の動きを見ながら、復興庁の業務をこなす毎日です。一方、新年度の税制改正を議論する党税制調査会も動き始め、予算編成に併せて今年度の第2次補正予算の編成指示も出るなど、年末に向けての事務作業がたけなわとなっています。

 先週末の24日(土)には台湾で国民投票により、我が国からの農産物の輸入規制の継続が過半数の支持を集めました。復興庁としては、外務省や農林水産省と連携し、福島など被災県の食の安全をPRし、科学的根拠に基づいた判断で規制を撤廃頂くよう、海外各国に働きかけているだけに、投票結果は残念に思います。一般国民レベルでの理解を得ることの困難さを再認識しつつも、その努力を粘り強く続けていかなければ、と想いを新たにしています。先週は、前号で綴ったように中国メディア関係者を被災地に受け入れており、21日(水)の夕刻に仙台に出向いて福島県を取材した率直な感想を伺いました。想像以上に復興が進んでいること、東電福島第一原発でも廃炉作業が進められていることなど新鮮に受け止められたようです。放射能の問題については、中国の科学者・技術者も招いて、専門的見地からの発信をお願いしては、との意見がありました。また、避難先から帰還した市民や、新たに農業に取り組む方、ボランティアとして域外から浜通りに入っている方など多様な現場の生の声を取材したいとの意欲的な話もありました。一方、中国国内の一般民衆レベルでは、素朴に風評は根強く残っていることも聞かされました。メディアの皆さんの精力的な取材活動に感謝しつつ、韓国を含め近隣諸国に対しても、「知ってもらう」、「食べてもらう」、「来てもらう」の姿勢で頑張っていきます。

 24日には福島県へ日帰り出張し、IOCのバッハ会長と安倍総理の県営あづま球場訪問に渡辺大臣とご一緒に立ち会いました。東京オリンピックの際にソフトボール6試合、野球1試合の開催が決定しており、バッハ会長の来訪を内堀福島県知事、木幡福島市長始め、福島商業高校野球部やふたば未来学園高校バドミントン部の皆さんが出迎え、歓談しました。スポーツを通じて人々を元気にするという精神で、「復興五輪」を充実させていきたいと思います。

 慌ただしい三連休でしたが、地元では高岡市射水神社の新嘗祭、南砺市での県山・鉾・屋台・行燈祭交流会議立野が原スキークラブ100周年祝賀会に出席しました。12月も東北・東京・地元の行き来が頻繁になりそうです。

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国政報告(第453号)

 21日(水)午後0時40分から衆議院東日本大震災復興特別委員会の初回会合があり、渡辺大臣の所信挨拶とともに政務三役から着任挨拶を行いました。今後、質疑も行われる予定であり、国会関係の仕事もスタートしました。この臨時国会の焦点となっている入国管理法等の改正法案の審議を巡り、野党側から葉梨衆院法務委員長の解任決議案が提出されるも、20日(火)の本会議で否決され、21日から審議入りとなりました。このほか、人事院勧告を実施する給与法改正案が衆院を通過、また、日EUのEPA条約の批准案件も衆院本会議質疑を終えて外務委員会に付託されるなど、国会運営にエンジンがかかってきました。

 復興庁では、19日(月)に中国のメディア関係者14名の来日を受けて歓迎挨拶を務め、被災地の現状を率直に取材・発信してもらうようお願いしました。海外では、東電福島第一原子力発電所の事故を受けて我が国からの農林水産品に様々な輸入規制措置が取られました。その後の推移の中で順次緩和されてきているものの、中国では福島はじめ10都県の全ての食料・飼料の輸入停止措置が継続されています。幸い、先月25日(木)の中国での安倍総理と李克強中国首相との会談では、科学的評価の基礎の上に輸入規制を緩和することを積極的に考えたい旨の表明がありました。今回のメディア関係者の取材で、被災地の復興の現状、農林水産品の厳重な放射線検査、また、福島第一原発の廃炉の取り組みなどをつぶさに見て頂き、中国の皆さんに東北の真の姿を知って頂くことで輸入規制緩和や観光客の増加のきっかけになれば、と願っています。

 先週末は、16日(金)に石巻市の亀山市長、木村議長始め皆さんの要望に応対した後、富山に戻りました。17日(土)は高岡法人会の皆さんの税制改正要望を受け18日(日)は県連の政経文化セミナーに出席しました。講師は、岸田政務調査会長、石田総務大臣、金美齢さんで、現下の政策課題、地方創生の取り組み、富山へのエールなどそれぞれにお話し頂きました。4千人を超える来場となり、皆さんのご支援に改めて感謝申し上げます。

 週明けの19日に上京の後は、前述のほか、20日に復興庁で仙台平野沿岸地区土地改良区復旧・復興推進協力会の今野会長ほか皆さんが来訪されました。地震・津波の被害を受けたから農地や排水機場が復旧し、農業法人等による大規模営農、新規作物や太陽光発電の導入など新しい農業の芽が育っている旨、力強い報告を頂きました。復興庁では「新しい東北」という将来ビジョンを合言葉に掲げていますが、復興から創生への歩みもしっかり応援していきます。

 21日(水)の夕刻、日帰りで仙台に出向き、前述の中国メディア関係の皆さんから福島訪問後の感想を伺いました。これからの風評払拭の取り組みへのヒントが幾つもあった点、次号で報告します。

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