2017年3月

国政報告(第373号)

 先週23日(木)の森友学園籠池理事長の、衆参予算委員会での証人喚問で様々な波紋が生じた国会ですが、27日(月)の参議院本会議で新年度予算案が可決・成立し、今後は重要法案の審議に焦点を移して後半に入ります。復興庁の福島復興再生特措法の改正法案も、衆議院本会議での趣旨説明の順番が近づいています。福島県では、31日(金)に飯舘村、川俣町(山木屋地区)、浪江町、4月1日(土)に富岡町の避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除の予定で、福島第一原子力発電所事故からの復興も新たな局面に入ります。ふるさとへの帰還を希望されている方々に安心して戻って頂けるよう、商業・教育・医療・介護等の生活環境の整備を各省庁と連携して進めていかなくてはなりません。

 先週末に話を戻し、24日(金)は宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地を出張訪問し、ホヤの調理コンテストに出席しました。防衛省の皆さんには、先に陸上自衛隊多賀城駐屯地にてホヤ・カレーを給食に出して頂くなど、ホヤの消費拡大に積極的な応援を頂いています。宮城県の水産物の名産の一つであるホヤは、養殖が盛んで、大震災で落ち込んだものの水揚げは5千トン近くにまで戻り、全国一位となっています。しかし、キムチの原料として最大の輸入・消費地である韓国が原発事故以来、輸入を禁止しており、復興庁を含め我が国として科学的根拠に基づいて輸入再開を求めているものの未だ実現していません。このため、せっかく水揚げしたホヤを大量に廃棄する事態となっており、国内消費も伸ばす努力が求められています。そこで松島基地では、震災時も勤務しておられた時藤司令始め皆さんがホヤを生かしたメニューを開発・提案しようとコンテストを企画下さり、復興庁も招待頂いた次第です。調理を担当される隊員が、パスタ、焼きそば、ちらし寿司、ビビンバの4品を考案、料理され、東松島市長、松島町長始め参加者で審査の結果、ビビンバが優勝、ちらし寿司が次勝の結果でした。市の飲食店組合の組合長さんからは、レシピだけでなく調理法も伝授頂き、市内の店でもメニューに加えたいとのお話もありました。 続いて25日(土)には関西空港経由で和歌山県広川町に出張し、政府の「車座ふるさとトーク」を実施してきました。現場の方々と少人数での車座の対話を行い、内閣の政策に地域の声を反映させようという取り組みです。今回は国連の「世界津波の日」である11月5日の由来となった広川町にて、1854年の安政の大津波の記憶を百年以上にわたって伝承し、防災教育を息長く続けてこられた秘訣を伺いました。稲わらに火を放ち、津波から村民を守った「稲むらの火」の主人公、濱口梧陵翁は、災害時の避難のみならず、がれきを埋めて堤防を築くなどその後の村の復興に力を尽くし、開いた私塾(耐久社)は、町立耐久中学校、県立耐久高等学校として人材育成の場として今日に至っています。濱口翁に感謝する「津浪祭」が津波50周年の1903年から継続催行されていて、小学校6年生、中学校3年生を堤防への「土盛り」の主役にするなど、災害の記憶を後世代に伝える仕掛けがなされています。さらに、近年はたいまつを掲げて当時の避難場所であった広八幡社まで歩く「稲むらの火祭り」も催されています。トークに先立ち、西岡町長に町内を案内頂き、トークでは、町の教育長さん、稲むらの火の館の館長さん、耐久高校の先生・生徒、小学校の校長先生、語り部ボランティアの方々10名と地域の取り組みを語り合いました。東北の被災地では、大震災の記憶は未だ生々しいものがありますが、これを後代に末永く伝承していくうえで、広川町の皆さんの取り組みに学ぶ点は多々あると感じた次第です。

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国政報告(第372号)

 東京は昨21日(火)に桜の開花宣言があり、春分を過ぎて明るさを増す陽射しとともに春本番というところです。通常国会は参議院での新年度予算審議が大詰めとなる中、大阪の森友学園の国有地購入に端を発した問題が、先週16日(水)の籠池理事長の安倍総理側からの寄付を受けたとの発言を受け、明23日(木)に衆参の予算委員会で証人喚問を行う事態となりました。総理側は調査の結果、事実ではないとされており、喚問を経て事態がすっきりするよう願っています。一方、その他の内閣提出案件も逐次審議が進んでおり、国会全体としては着実に前進していると見ています。復興庁でも福島復興再生特措法の改正法案を提出しており、本会議での趣旨説明の順番待ちの状態です。

 先週末の土日祝の三日間は、在京当番と東北出張で富山へ戻れず、前倒しして16日、打ち合わせを兼ねて一泊往復しました。今週も地元入りは難しく、代理出席が続くこと、ご容赦下さい。19日(日)朝の東北新幹線で仙台に向かい、石巻市にて「石巻南浜津波復興祈念公園」の起工式に出席しました。被災三県に一か所づつ、国・県・市が一体となって大震災の犠牲者を追悼し、被災の記憶を後世に伝える公園施設を整備するものです。隣接する門脇(かどのわき)地区の「まちびらき」も行われ、発災6年を超えて街が前進していく節目の日となりました。午後からは牡鹿半島の漁業集落の復興状況を見て回りました。入りくんだ湾の奥に漁港施設と元の集落があり、津波被害を避けるため、住居は高台を切り開いて移転させ、防潮堤で守られた平地は生業の場とする形での復興が各所で進められていました。ちょうど住居の移転整備が済んで、移転元地の平地のかさ上げがこれからという段階の箇所が大勢で、復興を実感するまでには「もうひと頑張り」の印象でした。石巻湾から北はリアス式海岸の奥や潟・浦にて水産物の養殖が盛んであり、牡蠣、銀鮭、ワカメ、ホヤなどの生け簀が至る所に広がっている豊かな水域です。水産業の担い手育成のために全国から若者を募り、世話をする地元民間団体も生まれています。牡鹿地域の中心となる鮎川、そして翌20日(月・祝)に訪ねた雄勝、北上と、石巻市では中心部とは別に三つの拠点を生活と生業を支える機能を集積させた場として早急に整備したい考えです。このため、4月からは市役所に半島復興事業部を設け、事業の促進を図る旨、亀山市長、菅原副市長、丹野議長、大森副議長ほか皆さんのお話を伺いました。

 石巻市は平成17年に石巻、牡鹿、雄勝、河北、河南、北上、桃生の1市6町が合併し、555km²の広がりを持っており、個々の課題に対応される市職員の皆さんのご苦労は並ではないものと察します。また、旧河北地域の大川小学校で被災、亡くなられた方々を始め、皆様に改めてお悔やみを申し上げます。

 2日間の出張は天候に恵まれ、三陸沖の太平洋は穏やかな水面がコバルト・ブルーに輝き続けていました。南三陸町にて三陸縦貫道路の南三陸海岸インターチェンジの開通式典でお祝いを申し述べ、佐藤町長や、雄勝の廃校を活用して複合体験施設の運営に乗り出しているモリウミアスの油井代表の元気な姿を思い浮かべつつ、復興の取り組みへの想いを深く新たにして、帰京しました。

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国政報告(第371号)

 東日本大震災から6周年を迎えた3月11日(土)、復興庁を代表して宮城県に出張し、県庁で献花の上多賀城市の追悼式に出席しました。復興庁では、宮城県の各自治体の追悼式に担当副大臣が順次出席する事となっており、今年は多賀城市に伺った次第です。私が市長を務めた高岡市とは、万葉集の歌人、大伴家持卿の終焉の地として以前から市役所やロータリー・クラブ間の交流があり、菊地市長とも十年来のお付き合いで、震災発生の翌4月にはお見舞いに出向いたご縁もあります。復興事業は災害公営住宅が全て完成し、土地区画整理事業も間もなく土地引き渡しになるなど、ハード面は順調に進捗しています。とはいえ、市民で亡くなられた方が156名、住家被害が11,855世帯に上るなど、甚大な被害をうけておられ、14時46分から1分間の黙祷に思いを深く新たにしました。

 夕刻に新幹線で仙台から盛岡に移動し、翌12日(日)は東京から出向かれた安倍総理に地元の鈴木俊一代議士とともに随行し、三陸沿岸の宮古市(山本市長)と岩泉町(伊達町長)を訪問しました。まず、宮古市立第一中学校の卒業式に出席し、震災当時小学校3年生だった生徒の皆さんが苦難を乗り越えて成長し、学び舎を巣立つに際し、総理から激励の言葉を贈られました。ついで生徒の皆さんが、被災地である福島県南相馬市立小高中学校で作られた合唱曲「群青」を歌い、皆で「宮古のため、岩手のため、日本のために頑張ろう!」と決意のこぶしを挙げました。私にとって、卒業式に立ち会うのは、市長時代以来の出来事でしたが、生徒の皆さんの凛々しさ、「頑張ろう」の音頭を取ってくれた応援団長の女子生徒の万感溢れる涙など、心洗われる時間となりました。

 ついで、市内の田老地区に移動し、震災遺構として修復・保存された旧「たろう観光ホテル」にて、津波の映像を視聴しながら、当日の厳しい状況を松本社長ほか皆さんから伺いました。さらに、昨年夏の台風10号で大きな被害を受けた岩泉町にて、復旧を終え、19日(日)から公開を再開する運びとなった龍泉洞を一足先に見学しました。自慢の地底湖の蒼く澄んだ水面が戻ってきていました。安倍総理から、改めて「東北の復興無くして日本の再生無し」との初心で復興にあたっていく決意を報道陣に述べられ、発災7年目の復興庁の取り組みがスタートしました。

 この間、新聞・テレビでも被災地の現状と課題を様々な角度から取り上げて頂き、風化を防ぐ効果があったと感じています。また、10日(金)夕刻、官邸で原子力災害対策本部会合が開かれ、福島県浪江町、富岡町の避難指示解除準備区域・居住制限区域の避難指示をそれぞれ3月31日(金)、4月1日(土)に解除する旨、正式に決定されました。浜通りの復興も新たな段階に入ります。

 15日(水)には、外務省の飯倉別館でアジア大洋州大使会議のレセプションがあり、未だに我が国農林水産物に対し厳しい輸入規制を続けている国々に駐箚されている大使の皆さんに、復興副大臣として規制緩和に向けての一層の支援を要請しました。内外の風評払拭にも、一歩一歩取り組んでいきます。

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国政報告(第370号)

 平成23年3月11日、金曜日の午後2時46分、東日本大震災が発生、強い地震、大津波、そして福島第一原子力発電所の冷却機能が失われ、放射性物質が周囲に飛散する事態となりました。それから丸6年、11日(土)が目前に迫っています。改めて震災でお亡くなりなった方々のご冥福をお祈りし、ここまで復興に努力してこられた被災地の皆様のご苦労を想い、今仰せつかっている職責を通じ、事態を少しでも前進させるよう努力する決意です。

 通常国会は新年度予算案の審議が参議院に移り、2日(木)には衆議院で東日本大震災復興特別委員会が開かれ、今村大臣の所信と新年度予算の概要を聴取頂き、9日(木)に4時間の質疑が行われました。私も、復興事業の執行促進、観光対策、福島・浜通りの医療・介護環境の再構築について復興庁の取り組みを答弁しました。10日(金)には参議院の特別委員会もスタートし、この後は福島復興再生特措法改正案の審議・成立を目指します。

 3日(金)、就任後20回目の被災地への出張は、宮城県南三陸町の「さんさん商店街」のオープニング式典となりました。震災後街の商店主の皆さんが住民を元気づけようといち早く「市」を立ち上げ、仮設の施設に移って運営を続けられました。被災地復興の歩みを全国に発信するシンボル的な役割を果たし、地域外から応援に来られる方々にも大いに親しまれた商店街が、新たに盛り土・整備された町の中心部に本設・オープンの運びとなりました。町の復興をリードして来られた佐藤町長、商店街をまとめる三浦社長始め多くの方々の笑顔あふれる中、早春の日射しの下でのテープカットにご一緒できて光栄でした。施設の設計は、地元でも富山市の「キラリ」や高岡市の「金屋楽市」でお世話になった建築家の隈研吾先生で、南三陸町の良質なスギをふんだんに取り入れた人に優しい環境となっていました。末永い商売繁盛を祈念して帰京しました。

 4日(土)は桜井小矢部市長の後援会に顔出しするなど地元で過ごし、5日(日)は東京で自由民主党の党大会に出席しました。再度政権を担当させて頂いて5年目に入った安倍総裁の演説は、4年間の着実な成果の上に、「日本を取り戻す」という初心を忘れず、憲法改正等の困難な課題にも粘り強く取り組む決意を力強く述べるものでした。震災復興の取り組みも、一日一日の進展は牛の歩みのようですが、6年間の歳月は決して無ではなく、現地の皆さんの努力をしっかり支え、明るい未来に向かい頑張らねばと思いました。

 7日(火)には台湾の与党、民進党の徐団長一行が来庁され、長沢副大臣とともに、復興の現状を説明し、この間の台湾からの支援に御礼申し上げながら、我が国農林水産物に対する輸入禁止等の規制措置の見直しを要請しました。国内外の風評被害の払拭も一朝一夕に解決できずとも、腰を据えて取り組むべき重要課題です。

 明日11日は宮城県多賀城市での発災6周年の追悼式典に伺う予定です。心新たに復興庁での職務に取り組んで行きます。

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国政報告(第369号)

 3月に入り、通常国会の新年度予算審議も先月27日(月)夕刻に衆議院本会議を通過して舞台は参議院に移りました。その他の委員会も順次活動を始めており、私どもの東日本大震災復興特別委員会も今日(2日(木))昼、今村大臣の所信を聴取する予定です。

 復興庁では、先月24日(金)に岩手・宮城・福島の県知事(岩手は東京事務所長)と幹部との懇談会があり、11日(土)の発災6周年を前に現状と課題を語り合いました。同日午後、風評被害払拭のための各省庁参加のタスク・フォースが今村大臣主催で開催され、新年度に向けて取り組みを強化すべく大臣から指示がありました。先月、福島第一原子力発電所2号機の格納容器内にロボットが入り、内部を撮影した画像の解析により、1時間当たり650シーベルトの放射線量が推定されました。大震災当時は臨海状態で発電していた訳で、時間の経過でこの程度の線量まで減衰するのは科学的には当然なのですが、通常の外部のマイクロ・シーベルト単位の数値からかけ離れていたことから、原発周辺で再び線量が上がるのでは、根拠の無い不安の声がネットなどで上がりました。これに対し、タスク・フォースでは改めて正しい事実と科学的な説明を粘り強く続けていくことの大切さを確認しました。福島産の米は全袋検査しており、今年も放射能の基準値を超えるものはありませんでした。常磐沖での試験操業で採れた魚介類も問題なく、このほど第一原発から10~20km圏内の海域についても試験操業を始めることとしました。関係者のたゆみない努力で福島産の農林水産物の安全性が確認され、状況を一歩一歩改善している事実を政府としても内外の関係者に幅広く伝えていきます。

 27日には富岡町に続き、浪江町でも町長に避難解除準備区域と居住制限区域での今春の避難解除を受け入れる重い決定を頂きました。今後、国の正式決定を経て、復興庁としても帰還する方々の生活と生業を支援する取り組みを強めていきます。残る双葉町、大熊町など避難状態が続く区域についても、今国会で福島復興再生特措法の改正をお願いし、「特定復興再生拠点区域」を設け、国費で帰還できる環境を整備していく方針です。

 一方、週末の富山では、26日(日)に小泉進次郎党農林部会長が来県、石井知事、夏野砺波市長も一緒に砺波市のチューリップ切り花生産農家「センティア」を訪問し、伊藤代表の取り組みを伺いました。オランダで行われている箱ごとの栽培方法を取り入れ、4週間サイクルで球根植え込みから発芽、成長、開花、取り出しと工程を流れ作業でこなすため、アルミ・フレームのレール装置を輸入、いわばロー・テクでしゃがまない立ち作業を可能にしています。コスト意識や定量出荷など経営感覚溢れる伊藤さんのお話に、一同、富山県農業の新たな方向性を見る想いでした。その後、富山市に移動して田畑代議士も加わっての学生セミナーも、永森青年局長、畑学生部長の準備の甲斐あって150人の参加者で盛況でした。小泉代議士も政治や人生にかけるフレッシュな思いを率直に語って頂き、大いに元気の出る会合となりました。3日(金)からまた東北に何度か伺いますが、この元気で頑張っていきたいです。

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