2019年4月

国政報告(第474号)

 桜から新緑へと富山の春も移り行く先週末、高岡市伏木地区にて久しぶりに3つの行事に参加しました。20日(土)朝、氣多神社の春季例祭に参列し、市立伏木小学校にて地元の偉人、藤井能三を偲ぶ「能三祭」にて献花・挨拶しました。明治維新の激動期に伏木の廻船問屋の若き当主として、県下最初の小学校、測候所、灯台の建設に尽力し、北前船から近代船へと移り変わる伏木港を支え、対岸交易による発展を期して開港を主張・実現させました。今年は伏木港開港120周年に当たり、改めて地域をリードした先人の事績の重みと、これを讃える行事を絶える事なく継承している小学校の児童と教職員・関係者の皆さんの「地域力」を痛感しました。

 翌21日(日)は、党高岡市連合支部総会の中座をお許し頂き、再び伏木で大伴家持卿献花祭に出席しました。家持卿は、新元号「令和」の出典となった太宰府での梅花の宴を主催した大伴旅人の子で、万葉集編集にも深く関わったとされています。越中国司としてこの地に赴任し、多くの歌を残した卿を偲び、有志の方々が大伴神社を創建され、春秋の祭礼を始めて30年余です。「継続は力なり」と言いますが、我が国の元号が初めて国書から採られ、県の高志の国文学館も高岡市の万葉歴史館も来館者が増えるなど、地道な取り組みが花開いた春になりました。

 22日(月)朝、新幹線で上京し、復興庁・議員会館・国会院内を行き来する毎日も、平成最終週を迎えました。通常国会も残り2か月となり、23日(火)、25日(木)と衆院本会議にて内閣提出議案の採決、参院送付が進んでいます。しかし、21日に投開票された衆院大阪12区と沖縄3区の補欠選挙では、我が党候補者がいずれも当選できず、最近の閣僚の辞任とともに、7月の参院選に向けて政府・与党の一層の精進が求められるものと思います。

 24日(水)、私が副大臣として議長を務める「復興五輪連絡調整会議」の第3回に合わせ、福島県に一日出張しました。県庁にて内堀知事、鈴木・井出副知事にご挨拶の後、福島大学を訪問し、復興推進委員である中田副学長から食農学類の新規設置や子どものメンタルヘルス支援事業推進室の取り組みについて説明頂きました。次いで川俣町に出向き、佐藤町長に同行頂いて、山木屋地区で農地管理・飼料作物耕作など農業再生に取り組む「ヒュッテファーム」の皆さんに現状を伺いました。また、「ふくしま森林再生事業」の現場で県農林水産部から間伐など事業の説明を受けました。復興五輪については、「復興の火」の展示やJヴィレッジからの聖火リレーの出発など、具体化が進んでいます。岩手・宮城・福島三県の取り組みも1年前イベントやホストタウンなど盛り上りが感じられ、私ども復興庁も応援していきます。御代替わりに伴う十連休もあり、次号は一週間休んで5月9日(木)頃でお願いします。

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国政報告(第473号)

 前回の報告を書き終えてから、週末にかけて東日本大震災からの復興にとって、「まさか」と思える困った事件が起きました。まず、10日(水)の夜、議員宿舎に戻ったところで知り合いの新聞記者さんから桜田五輪担当大臣がつい今しがた辞任したとの知らせを受けました。理由は、同僚議員のパーティでの「復興よりも同僚議員の方が大切」との発言と聞いて、言葉に詰まりました。思えば、復興に関わり、パーティでの発言で政務が辞任に至った例が2度ありました。当時、伊吹前衆議院議長が「六つの「た」」として、「多数の場での挨拶」や「たとえ話」は注意するように、と戒められたのを忘れた発言でした。当然、許されるものではなく、私ども復興庁としても、復興五輪を盛り上げようと被災地の皆さんに働きかけている立場も含め、深くお詫びするものです。安倍総理は改めて、全大臣が復興大臣との自覚をもって事に当たるよう指示されましたが、心していきます。

 次いで12日(金)朝、東京電力福島第一原発の事故に起因する我が国水産物に対する韓国の厳しい輸入規制措置について、我が国がWTO(世界貿易機構)に提訴していた案件の上級審の判断が明らかになりました。1審では、我が国から輸出される水産物の安全性が認定され、韓国の規制は国際ルールに照らし不当に厳しいものとの判断でした。しかし、上級審では1審の判断が維持されるだろうとの我が国の予想を裏切って、韓国の規制について、自国の国民の安全を守る立場から不当とは言えないとして1審の判断を破棄しました。WTOの判断としてはこれが最終となるため、我が国としては韓国の措置を国際ルール違反として撤廃を求めることができなくなりました。今後は韓国に対し、我が国の水産物が厳しい検査を経て放射線の面で安全であることを粘り強く説明し、韓国側が自主的判断として規制を撤廃するよう働きかけていかなければなりません。WTO勝訴による輸出の解禁を期待されていた水産業関係の皆様、とりわけ、三陸地方でホヤ(震災前はキムチの原料として韓国に大量に輸出されていました。)の養殖に励んでおられる方々を落胆させる結果となり、政府の一員として申し訳なく思います。折しも同日、「原子力災害による風評被害を含む影響への対策タスクフォース」が復興庁で開かれ、一日も早く輸出が再開できるよう、風評払拭に努めていく旨、一同決意を新たにしました。

 地元では、11日(木)に高岡市の大和百貨店が8月25日をもって閉店するとの発表がありました。全国的に百貨店の営業が厳しい情勢の下、残念ですがやむを得ない判断と受け止め、今後の空きスペースの活用など中心市街地への市当局の取り組みを応援していきます。厳しい「まさか」の事件が3件続いた今週、これを乗り越え、それぞれの政策目的実現に向かっての前進を誓うものです。

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国政報告(第472号)

 桜が見頃を過ぎたところで、強烈な寒の戻りで、今日(10日(水))は関東北部に雪かも、との予報が出ています。週末の統一地方選前半戦の投票日(7日(日))、富山県議会議員選挙では公認候補32名が当選、魚津・黒部の保守系無所属新人も加えると、同志が34議席を占める見込みです。第三選挙区内では、定数7に対し、6名を擁立した高岡市選挙区の行方が気がかりでしたが、渡辺・山本・川島・酒井・針山・瀬川の全員当選となり、ホッとしています。有権者の皆様の負託を受けた新たな布陣で、県政の更なる発展を願い、また、持ち場で努力して行きます。

 一方、国政では塚田国土交通副大臣兼復興副大臣が九州の集会での「忖度」発言で5日(金)に辞任、富山では富山市議会の政務活動費不正受給問題で4名が9日(火)に起訴されるなど、政治不信を招く事態も起きています。心して政治に臨んで行きます。

 復興庁では、6-7日(土-日)と気仙沼市に出張しました。宮城県沿岸15市町村の中でも石巻市と並んで復興に時間を要する地域でしたが、発災から8年を経過し、さすがに竣工する施設が増え、「住まい」については住宅の供給など完遂のメドが立っています。日曜の気仙沼大島大橋の開通式への出席に併せ、菅原市長ほか皆さんに案内頂いて事業個所を見て回りました。まずは、防潮堤の整備を巡り、住民との調整に時間をかけた大谷海岸です。人気の高かった白砂の海水浴場を残すため、堤を海岸線から後退させ、国道45号をその上に乗せ、背後地も堤の高さまでかさ上げすることで合意され、急ピッチで工事が進んでいました。次いで、3月に旧気仙沼向洋高校校舎を利用して開館した震災遺構・伝承館に伺いました。津波に襲われ、自動車が折り重なるようにひしゃげた姿など当時のままに保存されており、津波の映像や被災された方の想いなど視聴するうち、涙が流れ、改めて「復興の完遂」を自らに誓いました。市内で心の復興に取り組む「手招家(よってけ)」の菊田代表のお話を聴かせて頂いた後、内湾地区の商業施設鹿折地区の区画整理事業が完成した姿を確認しました。最後に外洋に面する唐桑半島で韓国発祥の自然体験トレッキングである宮城オルレの「気仙沼・唐桑コース」を見学しました。日曜朝は、高度衛生管理に対応して復旧・再整備された魚市場にも寄り、生業や街の再生を通じ、地方創生・交流拡大に意欲的に取り組む気仙沼を体感した2日間でした。

 大島大橋は、住民の皆さんの半世紀に渡る悲願を実現したものです。大震災の折には電気・水道が断絶し、津波のガレキでフェリーによる交通手段も途絶した経験もされただけに、開通式には事業主体である県の村井知事、浅野前知事はもとより、古賀誠先生、小野寺先生始め県選出国会議員など多数出席されていました。これからも、被災地の皆さんに喜んで頂ける復興を心掛けていきます。

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国政報告(第471号)

 ここの所の寒の戻りで開花し始めた桜も縮こまり、どうやら今週末のお花見が楽しめそうな気配です。年度初め、春本番の4月1日(月)、新元号が「令和」と発表されました。出典が万葉集とのこと、関わりを持つ身として驚きと嬉しさの混じった感覚で受け止めました。同僚議員からも「良かったね。」と声をかけてもらえました。全20巻、4516首のうち、巻5の大伴旅人(家持の父)」を中心とする大宰府の歌壇で詠まれた梅花の歌32首の序文の漢文から採られたものです。平安時代の勅撰和歌集とは異なり、漢文と和語の歌から成り立つ万葉集の特色を見事にとらえて出典とした事も機知に富んでいると思います。

 時は聖武天皇治下の天平2(730)年1月(旧暦)13日、場所は大宰帥たる旅人の居宅とはっきり記されています。岩波文庫の漢文の書き下し文によれば「時に初春の令(よ)き月、気淑(よ)く風和(なご)み、梅は鏡の前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい~腰帯とそれに吊り下げた玉・金属器などの総称)の後の香(こう)を薫(かお)らす」とあり、良い時代、平和な時代であってほしいとの願いが込められています。背筋が伸びるような清新な響きがあり、国民の皆様の評価も良いようで何よりです。

 私は、国会での質問に際し、万葉集から一首朗じることを常としてきましたが、この梅花の歌32首のうち、829番「梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや」を平成25年3月19日の衆議院総務委員会で紹介していました。当時は総務大臣政務官の立場で、現在は立憲民主党に所属されている小川淳也議員の質問にて一首を所望され、答弁で朗じたものです。今後も可能な範囲で、折々の万葉歌を披露していきたいと思います。

 先週末の3月30日(土)の朝、渡部・世耕・原田大臣ほか皆さんに同行して福島に出張し、18回目の「原子力災害からの福島復興再生協議会」に出席しました。内堀知事ほか福島側の出席者から、大震災・東電福島第一原発事故からの復興の現状を踏まえ、産業再生、鳥獣被害対策、風評対策、帰還困難地域対策など幅広くご意見を承りました。政府側として、復興庁の後継組織の検討を含め、積極的に対処していく旨回答しました。

 次いで富山に戻り、29日(金)に告示された県議会議員選挙の応援のため、31日(日)夜にかけて射水市・高岡市の同志8陣営の個人演説会でマイクを持ちました。1日に理容組合高岡支部の総会に出席した後、上京中の新幹線車内で冒頭の新元号のニュースに接しました。2日(火)は新年度最初の衆院本会議があり、予算成立で折り返し点を越えた今通常国会は、残る内閣提出案件の審議に入っています。月末には御代替わりを控え、慌ただしい中、復興庁の業務にも怠りなく取り組んでいこうと思います。

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