2018年12月

国政報告(第458号)

 年の瀬が近づき、一年を振り返れば、2月は予算委員会で今年度予算の審議が連日続き、春は議員立法の根回しに議員会館を飛び歩き、新潟県知事選、8月の中国と東南アジア訪問、9月の沖縄県知事選での那覇20泊と総裁選、10月からは2度目の復興副大臣と、活動の内容も舞台も激しく変化した「忙」の年でした。郵政法案など達成感のある仕事もできましたが、普天間基地の移設問題を抱える沖縄で、数年間親交のあった佐喜真前宜野湾市長の知事当選を成就できなかった事は痛恨で、自分自身の選挙運動の総括もできぬままの年越しです。沖縄の振興は、宮腰大臣や小渕優子党沖縄振興調査会長に努力頂いており、私も再度関わる事を心に誓いながら、今は東北の被災地の復興を前進させる使命に全力投球の立場です。

 前号に続き、今年最後の16-17日(日―月)の岩手県出張を報告します。初日は午後に新幹線で東京を発ち、新花巻駅で下車、岩手復興局の皆さんと釜石に向かい、野田市長ほか市の皆さんと懇談しました。漁業と鉄鋼業の街であり、県外からの移住者も多く、富山県では朝日町と深い縁があるそうです。新日鉄の生産縮減に伴い、人口が減っていた所へ大震災が起きた訳ですが、市街地の復興はほぼ完了しています。鵜住居地区にはラグビー場が整備され、来年のラグビーワールドカップの公式戦開催に向けて準備が進んでいます。

 17日は、復興道路として急ピッチで建設が進む三陸縦貫自動車道を利用し、まずは大船渡市陸前高田市を訪ね、宮古市まで北上した後、山田町大槌町と役場を訪問しました。いずれも1年半ぶりですが、住まいの復興は着実に進んでいました。陸前高田市と2町の中心部は、土地の嵩上げや区画整理を待って土地の引き渡し、住宅再建へ進んだため、前任の時は建物もまばらな状態でしたが、今回は家屋も連坦し、町らしさを感じました。居住に適さないとして住居が移転して出た土地の活用策が復興終盤の課題として提起されています。宮古市では「Fw:東北(フォワード東北)」という復興庁の情報発信イベント(岩手県と共催)で主催者挨拶をしました。会場の「イーストピア宮古」は、宮古駅に隣接する市役所・保健センター・市民交流センターの複合施設で、10月に供用されたばかりです。来春には宮古・釜石間の旧JR山田線が三陸鉄道線として復旧するなど、地域発展のいぶきを感じ取った次第です。

 18日(火)には渡辺大臣から「復興・創生期間後も対応が必要な課題の整理」が公表され、これを元に復興庁設置期限(平成32年度末)後の組織・事業の在り方を検討していきます。21日(金)には新年度予算案が発表され、先に決まった税制改正案と併せ、来年度に向けた準備が整いました。26日(水)からは富山で過ごし、国政報告は一週間のお休みを頂き、次号は1月10日(木)でお願い致します。良いお年をお迎え下さい。

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国政報告(第457号)

 国会が終了し、今年も後10日余り、政府では14日(金)に新年度の税制改正大綱をまとめ、今週は予算の大臣折衝を経て、21日(金)には今年度の第2次補正も含め、予算編成を終える予定です。私も、議員会館、復興庁、現地出張と仕事を進めています。昨19日(水)には高岡商工会議所の川村会頭はじめ有志の皆さんの激励訪問を頂き、東北と富山の話題で楽しく過ごしました。

 再度の副大臣着任以来、被災地への出張は10回となりました。13-4日(木-金)は福島県に行き、会津若松市に避難を続けている大熊町役場から、田村市葛尾村川内村と役場を回りました。除染と避難解除が徐々に進む中、大熊町と双葉町は未だ全域に避難中です。それぞれ、昨年から特定復興拠点を設け、避難解除に向けた除染・家屋解体が進んでいます。大熊町は、居住制限区域となっていた大川原地区に役場の新庁舎を建設し、来春を目途に先行して帰還できる見込みです。渡辺町長からは、太陽光やバイオマスを用いた再生エネルギー拠点づくりの意気込みも承りました。

 再生となった楢葉町のJヴィレッジのホテルで宿泊し、翌日は富岡町広野町双葉町(役場がいわき市勿来地区に避難中)を訪ねました。避難解除が進んだ自治体では、次代を担う若者や子供たちが一人でも増えて欲しいという思いが強く、特色ある教育や雇用創出への国の取り組みを求められました。産業面では、イノベーション・コースト構想を進めていますが、企業立地と併せて人材育成の視点もしっかり持つべきと思いました。また、浜通りへの「Iターン」(移住)についても、積極的に受け入れたい意向で、大学のサテライトなど研究者・技術者の来訪・定住を増やす必要があります。

 双葉町では、中野地区の産業団地の造成が進み、立地の引き合いも強いそうです。2020年3月に予定される常磐線の全線開通に向け、団地の稼働と、双葉駅周辺の避難解除を目指しています。今まで、先が見えないご苦労が続いていましたが、ようやく帰還が視野に入り始め、二年前に初めてお会いした時から見ると将来に向けたお話に力がこもり、嬉しく思いました。

 14日の午後は仙台に移動し、第2回復興五輪連絡調整会議を主催しました。出席頂いた3県担当者からは、聖火リレー、ホストタウン、競技会場の受け入れ態勢など、準備状況を披露頂き、組織委員会との調整を密に進めていくことを確認しました。被災地の復興状況のアピールや地元食材の活用など様々な取り組み課題があり、一足先に開催されるラグビーワールドカップ2019の経験も生かして盛り上げて行ければ、と思います。

 東北から大宮経由で戻って、週末の15日(土)は高岡市伏木で向県議の後継で出馬予定の針山健史さんの後援会発会式に出席して上京、16日(日)からの岩手出張の報告は次号とします。

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国政報告(第456号)

 先週末の寒波で、富山も9日(日)の朝は雪化粧となり、挨拶回りで伺った五箇山では20cmの積雪でした。東京も銀杏の樹々が葉を落とし、冬景色の風情です。

 臨時国会(第197国会)は、当初の通り10日(月)に閉会しました。内閣提出の新規案件は全て可決され、成年後見人に係る継続審査の法案を残すのみです。この間、6日(木)からの出入国管理法等改正法案と漁業法案の参議院での大詰めの審査過程では、法務委員長に加えて堂故農林水産委員長の解任決議案も提出されました。温和な物腰で知られる堂故議員だけに、院の厳しい雰囲気の中で私には思いもよらぬ事態でした。明けて7日(金)は参院本会議が断続的に開かれ、二つの解任決議案が否決された後、山下法相、安倍総理の問責決議案の提出、否決を経て、8日(土)午前4時に全ての法案を可決するに至りました。7日は衆議院も内閣不信任決議案の提出に備えて本会議が設定され、休憩状態のまま与党議員には「禁足」(連絡できる状態で在京している事)の指示が出ました。私は宮城県に出張・宿泊の予定でしたが、取り止めとなり、午後11時55分に再開した本会議に出席しました。大島議長が日付を超えて8日も本会議を続行する旨、「延会手続」を宣言されて休憩となり、議員会館で待機するうち、参院本会議が再開され、不信任案の提出見込みが薄れたため、午前0時40分で禁足が解かれ、宿舎に帰宅できました。会期末の参院は厳しい状況になることが間々ありますが、今国会も2日間にわたる苦労がありました。

 経済界を中心に、厳しい人手不足を背景に導入が強く望まれた新たな外国人労働力受け入れシステムでしたが、国会審議の過程では、現行の外国人研修生制度の悪しき運用事例が明るみになりました。このため、新制度の施行に当たっても、細部のルールを事前に示すよう政府に要請する事となりました。我が国の国籍を持たない外国人の方々が日本国内で苦労されている点について、与野党を通じて認識を新たにした訳で、新たな5年間の在留資格についても、日本語能力や技術力の基準を満たすことや、受け入れ企業の責任の重さなど、制度の適正な運用を注視していく必要を痛感しています。

 8日朝の新幹線で仙台に向かい、名取市の復興公営住宅完成式典に出席がかないました。地震・津波で甚大な被害を受けた閖上地区の復興方針を巡り、厳しい意見の対立を山田市長と市議会の皆さんが苦労されてまとめられ、全戸完成・入居の日を迎えられた事、前任時に関わった立場から労いの思いを込め、復興庁としての挨拶を述べました。午後には大宮経由で富山に戻り、地元6市の市議会議員有志の会(慶政会)で復興の現状について報告する機会を頂きました。13日(木)からも、福島県、岩手県の被災地に伺い、現況把握に努めていきます。

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国政報告(第455号)

 師走に入って急に暖かくなり、汗ばむ位かと思う内、週末に向けては一気に気温が下がり、降雪も予想されるようです。臨時国会は10日(月)の会期末まで今日(6日(木))から実質3日間となり、出入国管理法等改正法案が参議院で採決のヤマ場を迎えています。内閣不信任案の提出が取り沙汰されるなど、荒れ模様の印象が強いですが、内閣提出案件は、漁業法改正法案や日EU経済連携協定批准など全て成立の見込みです。衆院国土交通委員会では、トラック事業者の皆さんから運転手の働き方改革のために強い要望のあった貨物自動車運送法改正法案が全会一致で可決されるなど、立法府としての役割も与野党協力して果たしている旨、報告します。

 先週末の1-2日(土-日)は、埼玉県秩父市で全国山・鉾・屋台保存連合会の総会が開催され、現在、副大臣就任のため会長職を休止している私は夕方の懇親会と翌日にかけての祭礼見学に参加しました。開催地の秩父夜祭は、江戸時代に名産の絹の市を盛り上げることから豪華絢爛な屋台と笠鉾が師走の街を練り歩く秩父神社の祭礼として大いに発展したものです。各町の役員が明るい色のいなせな着物を着流しているのも、秩父の特色であり、名産の絹織物「秩父銘仙」をアピールしているものと思います。全国の重要無形民俗文化財の祭礼関係者が一同に会し、心意気を分かち合う本総会は、来夏は青森県八戸市で開催する事となりました。

 富山にワンタッチして東京に戻り、4日(火)午前は衆院の東日本大震災復興特別委員会で3時間の質疑があり、税制、復興五輪の取り組みの2問に答弁しました。午後から5日(水)にかけて、渡辺大臣に随行し、福島県浜通りに出張しました。初日の夕刻は、富岡町、楢葉町、広野町、川内村の町村長さんと懇談の機会を持ち、有害鳥獣対策としての森林整備の促進、イノベーション・コースト構想の下での若者世代の人材育成、新たな特産農産物の開発など、多様な意見交換ができました。5日は大熊町で整備されている中間貯蔵施設を見学した後、東京電力福島第一原子力発電所を訪問しました。私にとっては、前任の際、2年前の訪問以来で3回目となりましたが、関係者の努力で廃炉作業が一歩一歩前進していることが確認できました。敷地内の放射線量の低減が進み、マスク無しの通常の服装で行動できる範囲は、1~4号機周辺を除く全域へと格段に広がりました。汚染水を多核種除去装置(ALPS)で処理したものを貯めているタンク群や、使用済み燃料の取り出し準備が進められている3号機のオペレーティング・フロアも見ることができました。ここでは事故後の原発の廃炉という、前例の無い作業に取り組んでいる訳で、慎重に粘り強く手順を踏んでいく事が肝要と改めて痛感しました。今月は、この後も数度被災地を訪問し、現状を理解し、解決すべき課題の把握に努めて行きます。

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