国政報告(第356号)

 24日(木)の東京は、朝から54年ぶりの11月の雪となり、都心はさすがに積もらなかったものの、郊外では観測史上初の今月の積雪となりました。今週は、安倍総理が米国から南米へと外遊され、APEC首脳会合に出席されるとともに、トランプ次期米大統領、プーチン露大統領等と相次いで会談されました。一方、トランプ氏が大統領就任初日にTPP離脱を宣言すると表明するなど、先行きが不透明になる出来事もありました。そして、22日(火)の福島県沖でのM7.4の地震と津波の発生には、復興庁にも緊張感が走りました。幸いにも被害は拡大せず、ホッとしながら、改めて自然災害と隣り合わせの現状を痛感させられました。

 先週末の19日(土)は、北海道12区から武部勤先生に富山に来県頂き、小矢部市にてふるさと対話集会を持ちました。松沢地区での農業者との対話石動地区での商工業者との対話に、小矢部出身の山田俊男先生にも駆け付けて頂き、JA改革、米政策、観光振興、基盤整備など幅広い分野で皆さんの意見を聴かせて頂きました。対話の合間に、高岡市福岡町のハトムギ乾燥・保管施設稲葉山市営牧場も見て頂き、畑作主体の北海道東部の農業との大きな違いを感じ取って頂きました。夕刻には高岡で第三選挙区支部の歯科医師の皆さんに拠る後援会の発会式があり、出席して御礼と併せ、国政報告をさせて頂いた後、深夜に帰京しました。

 20日(日)朝6時32分の東北新幹線はやぶさ号にて仙台に向かい、宮城県東松島市野蒜(のびる)地区のまちびらきにて復興庁から祝辞を申し述べました。丘陵を切り開き、津波被害に遭った海沿いの集落、JR仙石線の駅舎、小学校をまとめて高台移転を成し遂げたものです。「ひがしまつしま福幸まつり」に合わせ、防災集団移転促進事業の最後の区画引き渡しや小学校新校舎の内覧会が開かれ、新たな街づくりへの第一歩が踏み出されました。

 22日の朝5時59分、赤坂の議員宿舎でも、地震の揺れを感じ、その後も免震構造故のきしみ音を伴った揺れが普段より長く続いたので、思わずテレビをつけたら、震源地が福島沖で、津波の恐れがあるとのこと。画面に見入りながら、新村秘書官にメールを送り、議連の集まりに出る朝一番の予定の変更の相談をかけました。幸いにも大きな被害が出ず、津波の到達も遅れ気味となるうち、7時40分に迎えの車が到着し、まずは復興庁に登庁する事にしました。先立って7時30分に登庁された長沢副大臣から福島復興局からの情報を聴くうち、今村大臣も登庁されて幹部の皆さんと早速打ち合わせを持ちました。結果、長沢副大臣に福島県に出向いて現地の事情を確認頂くとともに、衆院原子力特別委員会での答弁は私が代わって行う事となりました。津波は仙台港で1m40cmを記録したものの陸地への影響は小さく、いったん避難された住民の皆さんも津波警報・注意報が解除されると自宅に戻られる等、マグニチュードの大きさに比べて影響は軽微に留まったのが幸いでした。

 23日(水)はいったん富山に戻って小矢部政経連合会の発会式に臨み、深夜に帰京して雪の24日を迎えた訳です。この後、30日(水)までの臨時国会の会期をどうするか、来週に向け、大詰めを迎えます。

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