国政報告(第342号)

 5日(金)に復興副大臣を拝命し、お盆を経て2週間ぶりの報告となります。6日(土)に6月に亡くなった妻の母の納骨を東京で済ませ、7日(日)は地元で散髪をして上京し、8日(月)から復興庁での仕事がスタートしました。

 午前に官邸で、閣議後に総理が主催される復興推進会議が開かれました。安倍総理から、今回の第3次改造内閣の指針のトップに震災からの復興を掲げた事を踏まえ、閣僚全てが復興大臣との思いで協力する事、被災地に寄り添い、現場主義で、未来への希望が持てるよう、この5年間の復興・創生期間(平成28-32年度)に努力するよう指示がありました。復興庁に戻り、今村大臣の閣議後会見に立ち会い、記者の皆さんに自己紹介させて頂きました。

 お昼過ぎの東北新幹線「はやぶさ19号」にて大臣に随行して仙台に向かいました。復興庁の出先である宮城復興局にて職員の皆さんに挨拶の後、宮城県庁に村井知事を訪ねました。ちょうど、天皇陛下の「お気持ちの表明」の時間と重なり、テレビで拝聴の後、挨拶を兼ねて懇談しました。村井知事からは、復興施策の進捗を評価しつつ、市町村への一段の人的支援の要請など、残された課題への対応を求められました。

 その後、海沿いの県内第2の都市、石巻市に移動し、地震・津波の犠牲となられた方々への献花の後、住まいの場を新たに確保する防災集団移転促進事業や災害公営住宅整備事業の現場を訪れました。事業が最盛期を迎え、完成した公営住宅には入居が進み、集団移転についても、底地が区画されて完成し、これから住宅建設が進もうと言う段階でした。亀山市長、丹野議長、大森副議長から、5年間の苦労を振り返り、市民の皆さんに生活(住宅)と生業(産業)の場をしっかり確保していきたいとの思いを聴かせて頂きました。

 翌9日(火)、大臣は福島に向かわれ、私の方で、宮城県北部の東松島市(阿部市長)、南三陸町(佐藤町長)、気仙沼市(菅原市長)、女川町(須田町長)と4市町を訪問し挨拶と併せて当面の要望や思いを聴かせて頂きました。住宅、区画整理、防潮堤など、住民合意に苦労されながらも方針をまとめ、形にされている首長・議会始め行政の皆様の努力の跡が偲ばれました。そして、多くの住民の皆様が仮設住宅から新たな住まいへと移っていかれるこの時期、個々の皆さんの置かれた環境の違いへの配慮や、新たなまちづくりのための基盤や、地域特性を活かした農林水産業・製造業・観光の振興を目指す意気込みと国の支援を求めるご意見を様々に寄せて頂きました。私自身が一つ一つの課題を東京に持ち帰り、解決に向けて前進するよう努力していく旨、お話ししました。

 10日(水)には名取市の山田新市長が今村大臣に面会され、同席してご挨拶しました。おって宮城県南部ほか関係自治体も訪問する予定です。

 お盆の期間は、14日(日)に恒例となった小矢部市興法寺地区での馳先生主催のふるさとトーク、15日(月)に県戦没者追悼式、16日(火)に県立高岡高校同窓会と出席の上、17日(水)のかがやきで上京、党東日本大震災復興加速化本部総会に出席しました。額賀本部長、谷事務局長始め諸先生方により、復興加速化に向けての第6次提言骨子が審議されました。その中で、福島第一原発事故により、長期避難生活を余儀なくされている福島県相馬・双葉地域の12市町村における「帰還困難区域」の取り扱いについても、地元首長のご意見を踏まえ、調整して行く旨、了承されました。

 18日(木)は地元案件で、検証作業が最終局面を迎えた利賀ダムの促進要望で、綿貫先生、各市長の皆さんに同行して国土交通省に伺いました。あと一息のようです。

 来週も、与党側の提言取りまとめ、月末締切に向けての概算要求の取りまとめなど、動きが続きます。今週は夏バテのためか、胃腸の調子を崩しましたが、体調管理しながら職務に当たります。

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