国政報告

国政報告(第741号)

 9月も、はや中旬に近づき、「210日」の時節です。台風10号は1日(日)に紀伊半島を過ぎたところで熱帯低気圧に変わり、富山では時折強い雨が降ったものの、目立った被害は生じませんでした。8月31日(土)の射水市での党大島支部大会など、台風に注意しながらも無事開催され、挨拶させて頂きました。東海道新幹線は3日間にわたり計画運休となるなど、社会活動や観光には大きな影響がありましたが、地球温暖化の影響下、厳しくなる気象現象への防災面での備えが必要なのだと思います。

 さて、総裁選への対応ですが、特に石破議員と同期の小泉議員から強い要請を受けましたが、これまで3度推してきて、「最後の総裁選」と決意されて臨まれる石破議員の陣営に参加、推薦人もお引き受けすることに決めました。小泉議員にもお詫びの連絡を済ませ、3日(火)から態度を鮮明にしています。選挙は12日(木)にスタートし、27日(金)の投票日まで各候補の政策が開陳され、論戦が交わされます。結果はどうあれ、実りのある議論となり、今後の党勢、国政に資する活動となるよう期待しています。

 先週は、各省庁から概算要求の主要事項の説明を受けながら、日程をこなす毎日でした。3日、県建設業協会砺波支部の藤井支部長ほか役員の皆さんが上京され、国土強靭化事業の継続、物価高・働き方改革を踏まえた単価引き上げと事業量確保について要望されました。政府も物価動向を踏まえた予算編成を考えている旨、回答し、努力を約束しました。4日(水)、都知事選の選挙ポスター等の事案に対処する公職選挙法改正に向けた超党派の実務者協議がもたれ、呼び掛け人の逢沢党選挙制度調査会長と一緒に出席しました。ポスターの品位保持の努力義務を候補者に課すこと、営利目的の利用には罰則を設けることなど、自公両党で協議した結果を披露し、意見交換の上、それぞれ党内に持ち帰って検討する事となりました。合意できるものなら、臨時国会など早期に立法したいところですが、情勢を見極める必要があります。5日(木)、「佐渡島の金山」の世界遺産登録について理解頂いた韓国大使館を訪問し、朴大使ほか皆さんに御礼のご挨拶をしました。これで、党PT座長としての務めはほぼ果たせたかな、と思います。6日(金)はお台場のビッグサイトで開催されているギフトショーに出向き、地元から出展されている方々のブースを回ってきました。

 週末の地元では、7日(土)朝、来月施行の県知事選に向けた新田八朗知事の選挙対策本部の立ち上げ会議に出席し、総括責任者を仰せつかりました。1期目のこの4年間、コロナウイルスや自然災害への対応を始め、日夜精力的に執務され、県民とのふれあいを大切にしてこられた政治姿勢に感謝し、良い成績で2期目のスタートが切れるよう努める所存です。次号からは、「総裁選」です! 

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国政報告(第740号)

 先週は、台風10号の進路予想の変化に伴い、交通規制や行事の有る無しの判断など何かと気を揉む毎日でした。九州や関東・東海など風雨による被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。党県連も、県庁に出向していた中央省庁の方々と交流する年一回の「ふくらぎ会」を中止しました。8月30日(金)、富山に戻る北陸新幹線には、東海道新幹線の運転見合わせにより、関西方面へ向かう旅客が殺到し、指定席車両の通路にまで乗客があふれる事態となりました。一面、北陸新幹線の代替補完機能の重要性を再認識し、敦賀以西の整備の必要性を後押しするものと実感しました。

 さて、12日(木)から始まる党総裁選に向け、立候補を目指す議員が10名以上に上り、今週はさらに表明が相次ぐ見込みです。充実した政策論争がなされ、新総裁の下、党の再生が実現するよう期待しています。私の態度についても近く心を決めたいと思います。

 前号で、8月25日(日)に氷見市でふるさと対話集会を開催した旨、報告しましたが、元旦の地震からの復興施策への要望と併せて、今後の防災体制についての貴重な意見も頂きました。特に、地域では小学校や地区センターのみならず、単位自治会の集会所も顔見知りの住民が集え、気心が知れることから、指定避難所以外の施設でも物資の備蓄をしておくことが効果的との事でした。また、海沿いでは津波からの避難について距離のある高台よりも、地区内に3階以上の建物に駆け込む方が良いのでは、との話もありました。防災計画で想定される津波の高さに合わせて「避難ビル」の設定など、きめ細かな対策を練り上げることも必要だと感じました。復興については、秋の稲刈りの後に改めて圃場や水路、パイプラインの状況を把握し、復旧作業を進めてほしいとの事、当局に伝えます。

 月末には、新年度予算の概算要求が各省庁から財務省に提出されました。北陸新幹線については、小浜・京都ルートで新大阪まで事項要求で着工要求し、併せて事業推進調査も増額要求されました。この方針は、27日(火)の与党北陸新幹線PTで了承されましたが、出席議員からは改めて25年以上かかるとされた工期の短縮に努力すべきとの声が強く上がりました。今後、ルートを確定させ、地元自治体・JR西日本と「着工5条件」をクリアすべく調整が進められる事となります。いよいよ正念場を迎えます。

 このほか、29日(木)には党東日本大震災復興加速化本部の根本本部長、公明党の赤羽本部長に随行して官邸に出向き、第13次提言を岸田総理に提出しました。その後、再開以来2回目の党氏制度のあり方に関する検討WTで事務局長として司会を務めました。平成8年の選択的夫婦別姓制度導入を提起した法制審議会答申について、当時、党内でどのような議論がなされたのかを振り返りました。総裁選をはさんで今後も丁寧に論点を整理していきます。

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国政報告(第739号)

 20日(火)に党総裁選選挙管理委員会が開かれ、9月12日(木)告示、27日(金)投開票と日程が定まりました。報道では11人が出馬を検討しており、既に小林鷹之、石破茂、河野太郎の3人が出馬を発表しました。15日間の運動を通じて、今後の日本のビジョンと政策、党改革の方針について活発に議論した上で、新総裁が選出されるよう願っています。私がどなたを応援するかは思案中です。従前から支持してきた石破議員、前回の総裁選で支持した河野議員、また、当選同期の小泉、斎藤議員と、15年間の議員生活を振り返りながら、最善の選択をしたいと思います。

 お盆明けの19日(月)、京都で全国山・鉾・屋台保存連合会の常務理事懇談会に出席し、夕刻に東京に着きました。その後、永田町では引き続き政策分野の会議や打ち合わせの毎日です。21日(水)午後、選挙制度調査会が開かれ、7月の都知事選を踏まえ、役員会で議論してきた公職選挙法改正の考え方を諮りました。選挙ポスターにも政見放送や選挙公報と同様の訓示的な品位保持規定を導入し、営利目的に利用した場合の罰則も付すことで一致しました。選挙ポスターに候補者の名前の掲載を義務化しては、との意見や、公設のポスター掲示板の数を減らしては、との意見もあり、今後の進め方を逢沢会長に一任頂きました。23日(金)朝に公明党と打ち合わせした所、両党の考え方は概ね一致し、今後は野党各党にも呼び掛け、超党派での合意を基に法改正を目指すことになりました。

 22日(木)は、日帰りで金沢市に出向き、会長を務める金沢福光連絡道路期成同盟会に出席しました。県境区間の整備について、石川・富山両県の土木部が連携して事業効果を積み上げるよう、お願いしました。東京に戻り、夕刻、東日本大震災復興加速化本部会合に出席し、事務局長として司会を務めました。与党第13次提言案、復興庁の新年度予算・税制要求案を議題とし、今後の取り扱いを根本本部長に一任頂きました。同日、県第三選挙区支部青年部の皆さんが上京、翌23日(金)には県連の富山政治学校受講生の皆さんも上京され、それぞれ、懇談の機会を持ちました。

 地元に戻って週末の24日(土)は茶道裏千家淡交会高岡支部総会県退職公務員連盟の役員の皆さんとの懇談、砺波市選出の米原県議後援会総会と順次出席しました。夕刻、高岡市金屋町自治会の夏祭りに顔を出した後、南砺市利賀地区に向かい、劇団SCOTの演劇を鑑賞しました。25日(日)は石川3区選出の西田昭二代議士をお招きし、氷見市の久目地区東地区で党のふるさと対話集会(1036-7回)に臨んだ後、堂故国交副大臣、林氷見市長、光澤県議の合同報告会に出席しました。席上、林市長が病気を理由に今秋での市長退任を表明され、驚きました。林市長の能登半島地震への献身的な対処のご苦労を想い、平癒を念じています。

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国政報告(第738号)

 お盆を挟んで2週間ぶりの報告ですが、この間の最大の出来事は14日(水)朝の岸田総理の総裁選不出馬表明でした。富山へ戻る日で、宿舎に居たところ、突然テレビにニュース速報が流れ、11時30分からの記者会見でようやく事態が呑み込めました。地元メディアからもコメントを求められましたが、まずは、政治資金問題に端を発した我が党に対する不信感の高まりに対し、党の最高責任者として対処されたことを重く受け止めます。この3年間、政策遂行の面では大きな混乱の無いまま、内政・外交ともに安定的に政権運営されてこられたと思います。成長と分配の好循環を目指し、2年連続で高率の賃上げを実現させ、7月末の日銀の利上げに見られるようにデフレからの脱却も確実になりつつあります。異次元の少子化対策、防衛力の強化にも取り組み、外交面でもG7各国との協調はもとより、一時冷え込んでいた日韓関係も佐渡金山の世界遺産登録実現など好転してきています。それだけに、党所属議員のコンプライアンス違反が主因となった不出馬は残念です。この上は、9月の総裁選に向け、多彩な方々が立候補され、今後の日本の針路についてのビジョン・政策を切磋琢磨する中で新総裁が誕生することを期待し、また、一票を投じていきたいです。

 先々週に戻り、6日(火)に東海北陸自動車道・東海環状自動車道建設期成同盟会総会で挨拶し、四車線化事業の一層の進捗を要望しました。7日(水)は沖縄振興調査会にて新年度予算編成に向けた現地の皆さんの要望を伺いました。次いで与党北陸新幹線PTにて国土交通省から小浜・京都ルートについて京都駅付近のルートを3案、工期と事業費見込みを添えて提出されました。働き方改革と諸物価高騰で、工期は25~28年に延び、工事費は5兆円台に上振れしました。環境アセス調査を踏まえ、地下水対策等には進展が見られ、費用対効果や工期短縮の検討も進めつつ、令和7年度末の着工を目指し、今夏の予算概算要求に盛り込むか、月末に再度PTを開催し、判断します。8日(木)は日帰りで地元に戻り、庄川右岸地域用排水対策促進協議会総会で挨拶し、県営事業の着手を踏まえ、「流域治水」の視点で事業促進を要望しました。9日(金)は佐渡島の金山世界遺産登録実現PTにて、先月、インドにて無事登録された旨を報告しました。新潟県知事、佐渡市長にも出席頂き、有志議員の在京大使館への働きかけ等の支援に感謝しました。

 お盆を挟み、地元では、10日(土)に高岡市の針山県議後援会総会福井市議の市政報告会、11日(日)には南砺市で綿貫民輔先生の寿像除幕式、砺波市で利賀ダム期成同盟会総会及び本体等着工式に出席しました。15日(木)は県主催の戦没者追悼式に参列の後、小矢部市興法寺地区での馳・新田両知事等による恒例の「ふるさとトーク」に参加しました。週明けからまた東京で頑張ります。

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国政報告(第737号)

 前号で中国出張の毎日の行動を報告しましたが、感想をいくつか披露しようと思います。まずは、遣隋使・遣唐使に始まる両国間の交流の歴史について、中国首脳部も源流としての認識があることです。阿倍仲麻呂については、全人代の会見でも、当時の李白、王維との交流を言及されました。そして、コロナ以前のように、青少年を含めて幅広い人の行き来を回復させたいとの想いを聴きました。ちなみに、最近のインバウンドの復活で、我が国を訪れる中国人の数は急回復し、今年の6月の月間は66万人に達しています。地元の県立伏木高校が国際交流科を設け、環日本海交流を目指し、ロシア語、韓国語、中国語を第二外国語として教えています。各国に友好校があり、コロナ前は積極的な交流活動を展開しており、その再起動が期待されます。

 地球温暖化問題についても、脱炭素型自動車の導入に積極的な印象を持ちました。電気自動車やハイブリッド車のナンバープレートが緑色となっており、ガソリン車の青色と比べれば、グリーン化が一目で視認できます。我が国の取り組みにも参考になりそうです。市中の決済がほとんど電子マネーかカードになっていて、現金では買い物ができないなど、6年前からの社会経済の変化にも驚かされました。折々の訪問が有用であると痛感した次第です。

 さて、帰国翌日の7月27日(土)午後には、インドからユネスコの世界遺産委員会で佐渡島の金山の登録が無事、全会一致で決定されたとの知らせが届きました。党の登録実現PT座長を仰せつかり、委員国の在京大使館への働きかけなど活動してきた立場で、大変嬉しく思っています。特に、韓国との関係において、地元の新潟県、佐渡市の皆さんが政府と連携して調整に努力頂いたことが結果につながったと感じており、敬意を表するとともに、今後、「世界の宝」を活かして地域発展につなげて行かれるよう念じています。

 同日夕方、射水市の高橋市議の後援会総会で挨拶し、29日(月)からは再び東京にて、東日本大震災からの復興、都知事選を踏まえた選挙制度の検討、氏制度のあり方WTの準備など党の政策案件について仕事を進めました。8月1日(木)には党東日本大震災復興加速化本部の会合があり、根本本部長の下で、月末に向けて策定作業を進めている与党第13次提言の骨子案を説明しました。特定帰還居住区域の設定、除染が進み始めたことから森林再生に向けた作業基準を検討すること、中間貯蔵施設に搬入された除去土壌の処分に向けた検討を加速化すること、放射線に係るリスクコミュニケーションを強化・活用することなど内容を検討中です。

 梅雨明け後となった週末の地元では、3日(土)朝、射水市海老江海岸で開催されたユニバーサルビーチプロジェクトで挨拶しました。お盆前の報告はここまでとして、次回は19日(月)の週にて。

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国政報告(第736号)

 本号は、海江田衆院副議長の中国訪問団の一員として22日(月)から26日(金)まで訪中させて頂いた報告です。立憲民主党の神谷議員、日本共産党の穀田議員とともに、超党派の構成でコロナウイルスの影響で令和2年から途絶えている全国人民代表大会(全人代)との議会間交流の復活を呼びかける目的での訪問でした。

 22日、羽田から空路で北京に入り、早速、夕刻に全人代常務委員会の趙委員長、肖副委員長と相次いで会談しました。議会間に限らず、あらゆる分野で交流が細っていた両国ですが、私たちのほか、武見厚相、森山党総務会長と今月は訪中が相次ぎ、機運の高まる中での会談でした。岸田総理も昨年11月に習主席、今年5月に李総理と会談、両国の「戦略的互恵関係」を再確認し、政治的指導力をもって建設的、安定的な関係を構築する旨、合意しています。議会間交流も再開すべく必要な手続きを進めていくことで一致しました。

 最近の両国間の懸案として、海江田副議長から、中国での邦人拘束、東シナ海情勢、ALPS処理水放出に伴う水産物等の輸入規制、短期滞在ビザの問題を挙げ、ビジネス環境を含め関係改善の取り組みを求めました。中国側は、平和共存、友好協力の基本的方向に沿って共通の利益を追求すべきとし、諸課題について話し合いを深め、解決していく姿勢を示しました。処理水については科学的見地から両国の実務者協議を進めること、ビザ免除については相互主義に基づきお互い努力しようとの回答でした。両国の文化、政治体制の違いを認め合った上、幅広く相互理解の醸成に取り組もうとの呼びかけがあり、青少年を含めて交流拡大の想いで一致しました。

 23日(火)、中日友好協会役員、金杉中国大使との面会を済ませて空路、陝西省西安市に入りました。西安は歴史を辿れば唐の都、長安であり、万葉集の昔に遡って、両国間関係の源流の地とも言えます。省人代常務委の庄副主任との会食の席で、717~770年の長きにわたって唐で過ごした阿倍仲麻呂の歌、「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」(古今集406番)を紹介し、朗唱する機会を得ました。

 24日(水)は近郊の秦始皇帝の兵馬俑(よう)、唐玄宗の華清宮、長安の城壁など歴史的な故地を案内頂き、25日(木)はBYDの自動車製造工場を見学しました。自動車産業に参入してわずか20年余りで急成長し、運行性能の高い電気自動車を量産しています。その研究開発意欲には学ぶものがありました。同日夕刻、空路上海市に入り、市人代の黄主任と会談、26日に上海虹橋街道起草立法連絡点を訪問して法律・条令制定時に国民の意見を前広に聴取する制度を導入した旨、説明を受けました。最後に赤松総領事から現地事情を伺い、「百聞は一見に如かず」、6年ぶりの中国の変化を肌で受け止め、交流の大切さを痛感して帰国した次第です。

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国政報告(第735号)

 富山では、週末の19日(金)から20日(土)の朝にかけて激しい雨に驚かされましたが、その後は夏空が広がって一気に気温が35度を超えました。昨年は9月末まで暑い日が続きましたが、今年はどうなのか、お互いに体調に留意して乗り切りましょう!

 先週の東京では、選挙制度、氏制度それぞれに動きがありました。7日(日)投開票の東京都知事選では56人が立候補し、ポスターに候補者と関りのない内容を掲示し、掲示枠を第三者に売るなど、これまで想定されなかった行為が多数発生しました。基本的に立候補者の良識に立脚して過度な規制を行わない公職選挙法の規定では、このような行為を抑止できないことが問題となりました。選挙本来の目的に沿った選挙運動から外れた、公序良俗に反する行為や営利目的の行為を抑止するために、抑制的な形ではあれ、公職選挙法の改正が必要だとの認識が報道機関や主要政党の間で広がっています。このため、我が党でも選挙制度調査会にて役員レベルで具体策を検討することとし、連立与党の公明党の関係者とも19日に打ち合わせを持ちました。自民・立民の国会対策委員長の間でも、臨時国会において公職選挙法の改正を議論することで一致したとの報道もあり、私も調査会事務局長として検討作業に加わっていきます。

 18日(木)には、渡海政調会長も出席されて、党氏制度のあり方に関する検討WTが逢沢座長の下、3年ぶりに開催されました。我が国の氏制度は明治の民法で夫婦同氏制度が採用され、戦後の改正民法でも維持されて今日に至っています。この間、平成8(1996)年には政府の法制審議会から選択的夫婦別氏制度の導入を提言する答申が出されましたが、法改正はなされていません。一方、結婚後も婚前の氏を通称として使用する方が増えており、マイナンバーカードや運転免許証も旧姓併記が可能となっています。WTでは、制度の経緯、諸外国の事例、世論の動向、子の氏の扱い、女性の社会進出上の問題点など多面的な観点からじっくりと議論していく方針について出席された議員の賛同を頂きました。このWTについても、事務局長として運営に関わっていきます。

 地元では、20日に高岡市伏木・吉久地区で第32回対話集会を催しました。事前に元旦の地震で液状化の被害を被った地区を見て回った上で、出席頂いた自治会役員の皆さんの意見を伺いました。発災から半年が経過した時点で、今後の下水道管や道路の復旧工事について段取りや完成時期など具体的な情報を早く知りたいとの想いを痛切に受け止め、私の立場でも自治体に伝えます。このほか、南砺市の川崎橋の開通式山口高岡市議の後援会総会に出席し、21日(日)は横野富山市議会議長の就任祝賀会南砺市の金沢湯涌福光線期成同盟会に出席して上京、明22日(月)からは、26日(金)までの予定で中国を訪問します。次号で報告します。

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国政報告(第734号)

 気象庁によれば、いよいよ今週は梅雨明けしそうとのこと、夏本番を前に、東京では選挙区内6市の新年度に向けた重点要望に基づき各省庁から説明を受けています。

 今年の特徴は何と言っても、元旦の能登半島地震からの復興に係る要望です。家屋解体、液状化対策、災害公営住宅建設、庁舎建替え等への財政支援、事業者の補助金申請手続きの簡素化など、現状を踏まえた具体的な内容であり、内閣府、国土交通省、経済産業省など担当部局に実情と併せて伝えました。このほか、自治体に有利な地方債の制度の継続、少子化対策としての「こども誰でも通園制度」に係る国の支援強化、有機農業への支援など広い分野にわたる要望があり、公共事業に係るものも含め、努力していきます。

 このほか、10日(水)には党東日本大震災復興加速化本部事務局長として、福島県浜通りの富岡町の町長、議長ほか皆さんと面談しました。帰還困難区域から避難されている方でも希望されれば除染した上で戻ることが可能となる特定帰還居住区域の設定を受けて、この区域外に所在する帰還意向の無い方の家屋等の扱いも早急に検討してほしいとのご要望を頂きました。医療、教育など生活環境の充実に係る要望などと併せ、政府とも対策を議論していきます。

 11日(木)朝は、党富山県連会長として、秋の知事選での新田八朗知事の推薦申請を党本部の選挙対策委員会に提出しました。小渕優子委員長もちょうど在室されており、直接お願いすることができました。夕刻には全日本トラック協会のパーティに出席しました。本年4月から運転手の時間外労働の規制が導入され、トラック業界は物流のあり方を見直さなければならない「2024年問題」に直面しています。国土交通省ほか各省庁が荷主にも契約の見直しなどの対応を働きかけており、適正な運賃の設定や輸送条件の弾力化など必要な対応が進むよう、党トラック議連事務局長として注視しなければ、と思っています。

 3連休となった週末、地元に戻って13日(土)はJCHO高岡ふしき病院支援の会に出席しました。高嶋院長からは、コロナウイルスへの対応が一段落し、高岡市北部地域の地域包括ケアシステムへの貢献など、回復期に重点を置いた特色ある病院づくりに努力しているとのお話を伺いました。海の日の15日(月)は、県柔道整復師会が主催する日整全国少年柔道富山県大会の開会式で挨拶した後、第95回都市対抗野球大会に出場する伏木海陸運送硬式野球部の高岡市主催激励会に出席しました。夕刻に、南砺市選出の安達孝彦県議の後援会総会で挨拶、上京しました。

 来週22日(月)から26日(金)まで、海江田衆院副議長の中国訪問に同行することになりました。目的は、しばらく休止している議会レベルの交流再開を働きかけるもので、次々号で報告します。

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国政報告(第733号)

 梅雨明けを前に真夏を思わせる暑さに見舞われ、地球温暖化を実感させられます。昨年の線状降水帯による豪雨も思い出され、防災意識も持ちながら、夏場を乗り切っていきたいです。

 7月に入り、1日(月)は高岡市で中日本高速道路株式会社の高岡工事事務所の開所式に出席しました。今春、東海北陸自動車道の四車線化工事が最後の未着工区間(白川郷~清見)でも始まったことから、高山、高岡の二つの工事事務所で分担して施工を促進することになりました。既に県内では小矢部砺波JC~南砺、福光~城端間が供用されており、明かり区間、トンネル区間ともに順調に工事が進んでいます。最後は全長10kmを超える飛騨トンネルをもう一本掘る難工事が控えていますが、全区間四車線化に向け、沿線自治体の皆さんとしっかり取り組みます。

 2日(火)、3日(水)は第三選挙区内の6市の市長さんをお訪ねし、来年度予算編成に向けた重点要望事項を伺いました。毎年恒例の活動ですが、今年は能登半島地震からの復興を中心に、地域の基盤整備や少子化対策等の制度改善などが提起されており、各省庁にも伝えるとともに、実現に向けて努力します。

 週の後半は東京に戻り、4日(木)は党東日本大震災復興加速化本部事務局長として福島に出向きました。夏に予定している復興加速化のための与党提言(第13次)に盛り込むべき事項について県庁幹部の方々と意見交換しました。帰還困難区域に特定帰還居住区域を設けて希望する住民が帰還できるようになり、東京電力福島第一原発のALPS処理水の海洋放出が始まるなど、復興は一歩一歩前進しています。今後、さらに解決すべき課題を与党として提示し、政府の取り組みを促すべく、提言案を練っていきます。

 週末は再び地元に戻り、6日(土)朝、田中昌史参議院議員を囲む県理学療法士の皆さんの集いに出席しました。医療・介護の現場でリハビリなど患者に欠かせない治療を担う職種として、理学療法士は全国に34万人おられ、平均年齢は34歳との由。田中議員には、職域代表として現場の想いを国政に届けるべく、益々の活躍を期待致します。午後には、高岡市選出の嶋川武秀県議南砺市選出の武田慎一県議の集会で挨拶した後、選挙区内6市の市議会議員有志で結成頂いている「慶政会」の総会・懇親会に出席しました。会長は2年半務めて頂いた嶋田茂氷見市議から才川昌一南砺市議に、幹事長は狩野安郎高岡市議から曽田康司高岡市議にそれぞれ交代となりました。会員市議の皆さんの支援に感謝し、昨年来亡くなられた赤池伸彦南砺市議、雨池弘之砺波市議、福島正力小矢部市議のご冥福をお祈りして国政報告させてもらいました。7日(日)朝、党県連女性部のハッピーオレンジ運動(児童虐待防止の啓発活動)の冒頭で挨拶の後、上京しました。地元・東京の往復が続きます。

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国政報告(第732号)

 通常国会が終了し、しばらく地元での日程をこなす日々が続いています。梅雨らしい天候と、夏を思わせる好天が交互に現れ、体調に気をつけながら猛暑に備えなければ、と思います。

 6月28日(金)、昨年来何度か日程を調整しながら果たせなかった立山山麓の地熱調査地点と砂防事業の実地見学が実現しました。生憎、霧雨の天候でしたが、県企業局の牧野局長はじめ職員の皆様に同行頂き、国土交通省立山砂防事務所の石田所長ほか現地職員の皆様の案内で主要施設を直に見ることができ、深く感謝する次第です。

 当日は有峰ダムから立山カルデラの中に入りました。有峰ダムは、戦前に県企業局で建設を構想して用地買収まで進んだところで戦中の国策で事業主体が変わり、今は北陸電力の貴重な電力源となっています。立山地域への観光客を輸送する富山地方鉄道立山線も、元はダム建設の工事用軌道として敷設されたものだそうです。改めて、先人が治水と併せて水力による電源開発にカを入れ、工業県としての郷土の発展に努力された足跡を偲びました。安政5(1858)年の大地震で大鳶(とんび)・小鳶山が崩落し、常願寺川の下流一帯を土石流が襲ったことに端を発する立山砂防の取り組みは、明治39(1906)年の県による工事着手、大正15(1926)年の国への事業移管を経て今日に至ります。現在も夏場は常時300名を超える工事関係者がカルデラ内の宿舎で寝泊まりして様々な工事に携わっておられます。昭和14(1939)年に完成した白岩砂防堰堤は平成21(2009)年に国の重要文化財に指定されました。今回、その威容を眼前にし、機械力に乏しい当時の施工関係者のご苦労と、80年を超えても主要施設としてしっかり機能している構造物としての優秀性に感銘を受けました。

 県企業局が地熱調査のために掘削した調査井はカルデラ内の旧立山温泉跡地の傍にありました。温泉は、千寿ケ原から室堂までの道路が開通するまで登山客で賑わい、昭和48(1973)年に廃湯されました。井戸は、表層の地質探査等の準備を経て、1500m先まで掘削されましたが、残念ながら得られた熱水の温度、量が十分ではなく、事業化を見合わせた状態です。しかし、前述した先人の電源開発に賭けた意気込みにも照らし、現地見学を通じて捲土重来、再挑戦への願いを新たにしました。

 29日(土)は秋の知事選に向け、党県連として推薦決定した新田八朗知事との政策協定締結式に臨み、さらに県第三選挙区支部女性部総会田中南砺市長後援会総会高岡地区後援会青年部総会に出席しました。30日(日)も南砺市にて県手をつなぐ育成会大会に出席したほか、県第二選挙区支部大会堂故参議院議員を支援する堂峰会の総会党魚津支部総会にて県連会長として挨拶しました。週明けも地元を回り、7月3日(水)午後に上京の予定です。

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