国政報告(第246号)

 普段の8月末なら残暑厳しい折ですが、前線が本州上に停滞し、富山も東京もすっきりしない天候の下、気温の低い日が続いています。広島では局地的豪雨による土砂崩れで大きな被害が出ました。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、局地気象の予測と的確な避難指示方法について、更に改善すべきと痛感しています。

 週末の23日(土)、党県連の富山政治学校にて「政治家の心構え」というテーマで1時間の講話を担当しました。宮腰県連会長から市長の経験も踏まえて、と依頼頂き、平生は余り思い至らない心構えというものを、今更ながらに考える機会を頂きました。身の回りの事であれ、国の課題であれ、「こうしたい!」という志を大切に、関係者との議論など、丁寧なプロセスを踏んで粘り強く努力していく事が基本だと、まとめてみました。

 24日(日)に福光南部地域の後援会で国政報告をさせて頂いて25日(月)に上京、前号の報告の通り、26-7(火―水)と衆院東日本大震災復興特別委の視察で北海道の奥尻島を訪ねました。平成5年7月12日に発生した北海道南西沖地震で地震と津波に襲われ、200人近くの死者・行方不明者を出す甚大な被害に見舞われた島は、20年余の歳月を経て、再び豊かな自然の中の暮らしを取り戻しています。新村町長、田中副町長、竹田元総務課長さんに案内頂き、高台への集団移転、防潮堤など災害の教訓を生かした復興の過程を伺いながら現場を見て回りました。住民の皆さんの多様な意見をまとめていくご苦労、また、住居の目途がつき始めるとともに、住民の不安・不満が解消されていった経過など、東北の被災地のヒントになるお話を幾つも頂きました。他方、地震発生当時5千人近かった島の人口が今では3千人を割り込み、島の活力が失われつつある厳しい現状にもあります。復興にかけた費用の効果を疑問視するマスコミの見方もあるそうですが、平穏な生活に戻れた被災者のお一人お一人の過ごした時間の価値が何よりも尊いのでは、との竹田さんの意見が心に残りました。東北の被災者の皆さんも、来年には仮設住宅を出る事のできる方が増えてきます。復興の実を挙げ、加速する事、私たちの委員会の大事な役割です。

 東京に戻ってみると、北陸新幹線の開業が来年3月14日(土)に決定したとの知らせが入っていました。ただ、最速列車である「かがやき」が新高岡駅に一本も停車しないとの決定は、正直ショックでした。10本全てとは言わず、せめて日中に数本でも停車してくれれば、と期待していただけに、何とかならないものか、というのが今の率直な感想です。新高岡駅の背後圏は県西部のみならず、高速道路で結ばれる石川県能登地域や岐阜県飛騨地域を含み、総人口も86万人に達する訳で、今後も「倦(う)まず弛(たゆ)まず」、JR西日本社に働き掛けていかなければなりません。

 週末は富山に戻り、中川郁子代議士の南砺市訪問、また、公共交通議員連盟の富山・高岡視察の受入れ対応など済ませ、党人事前の総務会に臨んでいきます。

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