2018年1月

国政報告(第411号)

 東京も異様に寒い日が続いています。22日(月)は雪の通常国会幕開けとなり、夜には辺り一面銀世界になりました。翌日、かなり融けたものの、その後の寒気で凍り付き、歩道の随所に雪が残っています。24日(水)からは日本海側に降雪が移り、強風を伴って厳しい気象状況となった由、皆様にお見舞い申し上げます。23日(火)には草津白根山が突然噴火し、訓練中の陸上自衛隊員が命を落とされました。謹んでご冥福をお祈り致します。

 先週に戻って、18日(木)から21日(日)朝まで、3泊4日の行程でインドネシアに党務出張しました。日本インドネシア国交樹立60周年の記念式典に二階幹事長が総理特使として出席され、幹事長室を中心に、議員9名が随行させてもらいました。東京とジャカルタの時差は2時間ですが、赤道地帯とあって気温は30度近く、雨季に当たるので、曇天で時折スコール性の雨が降る天候でした。インドネシアは人口が2億5千万人を超えるASEAN第一の大国で、毎年5%程度の経済成長が続いているとあって、伸び行く熱気を感じました。1千万人の人口を擁する首都ジャカルタは、高層ビルが林立し、道路には日本車と日本製バイクが溢れ、ショッピングセンターには世界中のブランド・商品が並び、購買力も旺盛でした。交通渋滞解消のために、我が国が協力して地下鉄の建設が進められており、来春の開業が待ち望まれる状況です。

 ジャカルタ滞在は正味2日間で、19日(金)は郊外のボゴール宮殿に出向き、ジョコ大統領を表敬しました。二階幹事長はインドネシア議連会長を務めるなど、両国の交流に熱心に取り組んでこられただけに、大統領とも経済はもとより、次世代の青年たちの交流促進で意気投合されました。次いで、現地日系企業の皆さんとの昼食懇談会、インドネシア日本友好議員連盟との意見交換会をこなし、夕刻には旧市街地のファタヒラ広場での60周年オープニングイベントに出席しました。両国の特色と交流を鮮やかな映像で表現するプロジェクション・マッピングに始まり、幹事長ほか関係者のご挨拶があり、日本からはピコ太郎さんも駆けつけ、得意のパフォーマンスで会場を沸かせました。

 20日(土)は、カリバタ英雄墓地で献花を済ませ、我が国が東アジア経済統合の推進を目的として2007年に設立したERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)の本部を訪問し、西村事務総長から最近の活動状況の説明を受けました。次いで、現地に進出しているユニクロ、伊藤忠商事を訪ね、17時からは主目的の国交樹立60周年開会式典に出席し、深夜便で帰国の途に就きました。

 私自身にとって20年ぶりのインドネシアで、アジアの発展の勢いに認識を新たにしたところで、196国会を迎え、26日(金)からは衆院予算委員会で頑張る毎日です。次号で報告します。

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国政報告(第410号)

 この冬一番の寒波に見舞われた富山県では、里雪型の大雪となり、11日(木)の晩方から12日(金)の朝にかけて高岡では60cmの降雪となった由、さすがに機械除雪も追いつかず、生活が混乱するなど大きな被害となりました。関係の皆様にお見舞い申し上げます。一方、私も通常国会召集を前に、インフルエンザに見舞われ、地元の会合を欠席する羽目になりました。

 12日(金)の夕刻、大雪に見舞われた新高岡駅に到着しました。北陸新幹線は途中糸魚川付近を徐行しただけで、僅か2分の遅れに留まり、雪に対する強さを改めて実感させられました。しかし、道路交通の状況は厳しく、駅から最初の歯科医師会新年会の会場であるホテルニューオータニ高岡まで、通常は15分弱の所、50分かかりました。さらに、伏木地区自治会連絡協議会新年会の会場である伏木にも、1時間かかってようやく辿り着く状況で、「夜のドカ雪」の影響の甚大さを体感しました。翌13日(土)は、恒例の県連女性部の初顔合わせに妻と一緒に出席し、昨年秋の総選挙の際の御礼も申し述べました。午後に自宅に戻ってから悪寒がひどくなり、夜間に発熱、14日(日)朝に急患医療センターに出向いて検査をしたら、熱は7度台までだったものの、「B型インフルエンザ」と判明しました。このため、地域女性ネット高岡さんの新年会など急遽欠席することとし、15日(月)に高岡市民病院で受ける予定だった定期健康診断も延期してもらいました。関係の皆様にはお詫び申し上げます。

 体調が落ち着いた15日夕刻に上京し、16日(火)の党役員連絡会・副幹事長会議から政務に復帰し、夕方には新春高岡経済懇談会にとんぼ帰りで出席できました。ここ数年、インフルエンザにかからずにいた事もあり、どこかで身体に疲労が蓄積していたのだろうと自戒しながら、明18日(木)からのインドネシア出張(21日(日)まで3泊4日)に臨もうと思います(次号で報告します。)。

 17日(水)は来訪者が多く、今年もいよいよ始動だと実感した一日でした。総務省から通常国会に提出予定の法案や予算の概要説明を頂き、地元からのお客様に応対する一方、党本部に出向いて、昨年から携わっている議員立法の打ち合わせや情報通信・放送関係の会議に出席しました。22日(月)の召集日を前に、野党側では統一会派を模索する動きもありましたが、17日夕刻の時点で断念とのニュースです。昨秋の総選挙前の民進党の分裂に端を発した混乱は容易に収まらず、野党第一党の地位が安定しないことから、結果として与野党間の国会運営の打ち合わせも円滑を欠く危険性が続く状態です。与党とすれば、代表質問に続いて、まずは補正予算を一日も早く成立させることが使命であり、私も予算委員会の末席理事として職責を果たせるよう頑張ります。

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国政報告(第409号)

 平成30年最初の報告となります。前号を綴った後、12月25日(月)の週は新年度予算の各省庁の中身を読み込み、地方財政、クロマグロ対策、公共事業など地元に関わるものを確認して年を越しました。明けて新年は、4日(木)に党県連の初顔合わせ、5日(金)は党本部の仕事始めに出席しました。3連休の後、9日(火)に地元の挨拶回りを済ませ、10日(水)に上京して予算案の内容確認で、役所の説明を頂いています。

 昨年末以来、高岡市の財源不足が問題となっています。原因は、現高岡駅、新高岡駅と二つの駅の改築・新築が重なって投資額が膨らんだ一方、他市と同様な施設整備も進め、公共施設の統廃合の取り組みが十分で無かった事だと思います。市債残高が増加するに伴い、償還費が膨らむ一方、これを賄うだけの財源を行政改革で産み出すことができなかったため、資金不足に陥りかねない状態に至りました。このため、市債残高が着実に減少するよう、償還額の範囲内に投資を抑制するとともに、公共施設の統廃合により、管理コストを切り下げ、債務償還に充てる金銭を用意する取り組みを3~5年程度継続することが不可欠な状況になっています。8年前、高橋市長にバトンタッチした時点で、計画されていた施設整備は着実に進めて頂きましたが、統廃合については明確なビジョンを引き継いだ訳ではありませんでした。結果としてスクラップがビルドに追いつかなかった点については、責任の一端は私にもあり、市民の皆様にお詫び申し上げます。この上は、市当局の財政健全化の取り組みを応援しつつ、整備が進んだ都市基盤を生かした民間ベースの取り組みが花開くよう、持ち場から応援して参ります。

 一方、ポスト新幹線の県づくりの指針となる総合計画の策定作業が大詰めを迎えています。既に、「立山・黒部」、「薬都とやま」と、新川・富山地区の指針は明確になっており、県西部にも同様な指針を打ち出して頂けるよう、県当局にお願いしているところです。高速交通体系や港湾の整備が進み、五箇山の世界遺産、砺波野の散居村の景観、様々な有形・無形の文化財と伝統工芸、明日へのものづくり産業の展開、富山湾の海の幸、新湊大橋、太閤山の県立大学や工業技術センター、デザインセンターと、「飛越能の十字路・玄関口」、県西部6市の発展の基盤と息吹は十分に揃っています。これを包含し、明日への努力の合言葉となる旗印のフレーズを何とか産み出し、位置付けたいと思っています。

 国政については、22日(月)の通常国会召集がほぼ確定しており、昨年末から準備に携わっている復興関連等の議員立法の成立に向けて、他党への根回しなど努力しなければなりません。所属の予算委員会での補正予算の早期成立、沖縄の名護市長選への取り組みなど来週以降始動していきます。今年も頑張ります。

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